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ATPツアーファイナルズ:錦織が初戦でフェデラーに勝利 その背後にあるのは勝負に徹する戦略だった!?

内田暁フリーランスライター
会見で、表情豊かに試合を振り返る錦織(写真:アフロ)

○錦織 7-6, 6-3 R・フェデラー

「え~……うーん……」

 そう唸ったきりだまりこくり、言葉を選んで悩みに悩んだ末に、ようやく苦笑いと共に絞り出したのは「明かせる部分が、あまりないので……」の一言であった。この間、要した時間はおよそ10秒。

 今回、過去2戦の敗戦を踏まえて「戦い方を変えた」と明言した錦織が、では「その変えた点とは何か?」と問われた時の、会見での一幕である。ただこの悩んだ時間の長さに、そして結局は“明かさない”との判断を下した点にこそ、今回の錦織対フェデラー戦の精髄が集約されているだろう。そのことは、続く「今後に活かせる攻略法が見つかったか?」の問いに対する、「使える戦術だったり、しっくりきたところは幾つかあった」の返答にも、くっきり浮かび上るようだった。

 フェデラーは錦織が、この4年間で6連敗を喫してきた相手である。特に、ここ1ヶ月間で実現した2度の対戦では、いずれもフェデラーの超速攻型テニスの前に破れてきた。もっとも試合の質ではどちらも、低い軌道で僅かな隙間を縫うように鋭いショットを打ちあい、ネット際でもスリリングな攻防を繰り広げる名勝負。息もつかせぬ高質な技の応酬は、両者の創造性が匠の技巧により具現化される、即興芸術の競演のようですらあった。

 ただ、今回のATPツアーファイナルズ初戦で実現した今年3度目の対戦は、それら過去2戦とは大きく様相を異にする。数字上で見れば、奪ったウイナーは錦織が6で、フェデラーが19。アンフォーストエラー(自ら犯したミス)は、錦織が22で、フェデラーのそれは34を数えた。

 これらのスタッツだけ見れば、両者ともにこの日は不調で、ミスが勝敗を決したかのように読めるかもしれない。事実錦織も、初戦特有の緊張感や、扱いの難しいボールも含めた環境面への不慣れさゆえに、ミスが増えたことを認めている。しかし、それらが勝因の主たる要素ならば、錦織が戦術面に言及しなかったことへの説明がつかない。明かせないということは即ち、策の奏功への確信であるはずだからだ。

 ならば34を数えたフェデラーのミスも、実際には“アンフォースト=自ら犯した”のではなく、錦織に誘われたと見るのが正しいだろう。戦術について多くを語らなかった錦織だが、その解へのヒントは彼の……そしてフェデラーが試合後に口にした言葉にも隠されている。

 例えば、日頃は早いタイミングでボールを捕らえ“相手の時間を奪う”のを得手とする錦織が、フェデラーに対しては「ゆっくりやらなくてはならない場面もある」と言った。また「ボールが浅いと誰よりも早く攻める選手なので、ボールの深さは一番大切かなと思いました」とも明かす。

 実際にこの日の試合では、錦織のボールが深く決まったため、フェデラーが速攻に転じられない場面が多々あった。その事実を端的に語るのが、ネットプレーの回数。2週間前の対戦時には17回ネットに出ていたフェデラーが、この日は11回しかネットプレーを試みていなかった。

 もうひとつ、錦織の「ゆっくりやらなくてはいけない」という意志の体現化は、フェデラーの以下の言葉と対をなす。

「この会場のコートは、僕がここ最近プレーした3大会のそれに比べれば、明らかに遅い」。

 フェデラーが今大会前にプレーした3大会とは、上海、バーゼル、そしてパリ。確かにこれらの会場のコートは、速めなことで知られている。だがこのATPツアーファイナルズのコートサーフェスも、施工者も含めパリ及びバーゼルと同じ。また大会側は、選手が適応しやすいようにとの配慮から、パリと同じ状態にするよう施工者に求めてもいる。選手の反応としても、A・ズベレフは「このコートは速め」との所感を述べていた。つまりは、フェデラーがコートを「遅い」と感じたのは、錦織がペースを緩めたからという可能性が高いだろう。

 少年時代から憧れたフェデラーは、今でも「見ていて、誰よりテニスが楽しい選手」であり、その点に関し錦織が抱く敬意に何ら変化はない。ただ初対戦から7年経ち、変わったのは「自分のなかで、勝てない相手とは思っていない」という、戦う者としての心の有りようだ。

「特に今日は、勝たなくてはいけない試合だった」と彼は言った。それは、フェデラーの「見ていて楽しいテニス」を封じてでも、勝利に徹するという決意表明でもあるだろう。

 だからこそ勝利後の錦織は、混じりっ気のない声で、真っ直ぐに言った。

「それをしっかり勝てたのは、大きかったのかなと思います」――と。

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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