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快進撃を見せた西岡良仁を襲ったアクシデント。「その時」何が起こり、何がケガを誘発したのか…?

内田暁フリーランスライター
(写真:USA TODAY Sports/アフロ)

マイアミ・オープン2回戦を途中棄権した西岡良仁が、自らのSNSでケガの状況をファンに報告しました。

「MRIを撮った所、左膝の前十字靭帯の単独断裂と言う結果でした」(本人のfacebookより)。

靱帯断裂……という、いわば試合中の突発的なアクシデントが起きたのは、2回戦の対ジャック・ソック戦。第1セットの第4ゲームを西岡がブレークし、3-1とリードした最初のポイントでした。

ベースライン上の打ち合いの中での一つの動きが原因となったか、その後、ヒザを気にする様子を見せる西岡。続くポイントでは、サービスを打った着地後、走ることができません。自分のヒザが思うように動いてくれないことを訝しがるように、屈伸や足を前に投げ出す仕草を繰り返す西岡は、ここでメディカルタイムアウトを取ります。触診を受け、左ヒザ下にテーピングが厳重に巻かれる様子を見たトレーナーの馬木氏は両手で大きなバツ印を送りますが、西岡にはそれが見えなかったのか、治療後もプレーを続けます。そこからの西岡は、ドロップショップやフォアの強打を繰り出し5ポイント連取でブレークの危機を脱しますが、その2ゲーム後に落ちてくる、ある意味での恵みの雨……。この中断中に、彼は棄権を申し出ました。

試合後に西岡は、「走っている時に足がひっかかった」際に、ヒザが抜けるような違和感を覚えたと説明します。ただ「これまで足をケガしたことがなかった」彼には、一体、自分の足に何が起きたか判断する材料がありませんでした。

「痛みがなかったので、普通に大丈夫だと思ってやってたんですけれど……」

違和感はあるも大きな痛みではなかったので、プレーを継続。ただ見識のある人が見れば、それが「大丈夫」でないことは明白だったようです。雨のために試合が中断になり、その間に棄権を判断できたのは、不幸中の幸いだったのかもしれません。西岡も「不幸中の幸いで、半月板や他の部分を一切傷めず前十字のみの断裂になった」と報告しています。

今回のケガは一つの動きで起きたものですが、思い返せば予兆は、1回戦の勝利後にあったかもしれません。2月中旬からの北米遠征で戦いを重ね、特にインディアンウェルズで予選からのタフな6連戦を終えた身体は、「色んな所に痛み」を抱え込み、さらに「筋肉量も落ちている」ことを彼は自覚していたと言います。そこに加え、練習時から「インディアンウェルズはボールが弾むが、このコートは全然弾まずに合わせるのが難しかった」と感じていたコートサーフェスの変化も、自分の身体の制御を困難にした要因でしょう。

「風があったこともあり、ボールの落ちる位置や打点の位置も少し変わった。あの時は、思った以上にボールが曲がって歩数が合わずに、足の出す位置とボールの場所が合わなくて……。思った以上に足が上がらず着地するのが早かったので、それでヒザがもっていかれた感じ」。

西岡は状況を、そのように説明していました。

多くのトッププレーヤーを破り、自分が進む方向性に確信を抱き、「いろんな可能性が見えてきた」と言っていた中での今回のアクシデントが、どれほど無念かは想像も及びません。

ただマイアミでの戦いを終えた後に、まだ検査結果は出ていないものの、恐らくはある程度の覚悟はできていたであろう西岡は、言いました。

「今年は上の選手たちと対戦し、負けながらも少しずつ勝てるようになって、20~30位の選手とはほぼ互角にやり、勝ちを見いだせるようにもなった。テニスもそうだし、メンタル的にも成長していると大いに感じられた5~6週間だった。復帰までどれくらいかかるかわからないけれど、この経験は無くならない。時間はかかるかもしれないけれど、戻ってきた時に思い出してやっていきたい」。

※テニス専門誌『スマッシュ』のfacebookより転載。連日テニスの最新情報を掲載しています。

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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