母と子の暮らしを支えた小さなお店「赤毛のネェネェ」の10年~あるシングルマザーの自立の物語~
うえほんまちハイハイタウンに呑みにおいでよ
近鉄線のターミナル、大阪上本町のシンボル「うえほんまちハイハイタウン」通称「ハイタン」。ビルの上層階は居住区画。地下1階は、お手頃価格で旨い酒とアテを楽しめるお店がずらりと並ぶ、飲兵衛のワンダーランドです。その一角に「赤毛のネェネェ」はあります。
このネーミング、毒々しい赤色で書かれた店の表示、「いったい何のお店?」と思われるかもしれませんが、ただの沖縄料理店です。ただ「ごく普通の」とは言えません。店主が普通じゃないからです。
カウンターの席に10人も座れば超満員のこの小さなお店が10年間、シングルマザーの母と息子の暮らしを支えてきました。「赤毛のネェネェ」を舞台にした人間模様を描きます。
君は“浪速のシンディ”を見たか?
赤毛のネェネェの店主はヴァネッサ。あだ名じゃないよ。本名です。スウェーデン人の母親と日本人の父親の間に生まれました。年齢はナイショです。
日本人らしからぬ風貌ですが、大阪生まれの関西育ち、国籍も日本です。
「わたしは髪の毛赤いし、こんな見てくれやけどな」はい、中身は完全に“大阪のおばちゃん”です。
ヴァネッサは常連の間では“浪速のシンディ”の通り名でも知られます。シンディはもちろんシンディ・ローパー。「ハイスクールはダンステリア」でデビューしたアメリカの歌手です。東日本大震災と原発事故の際、多くの外国人アーティストが来日をキャンセルしたのに、彼女は率先して東北を訪れたことでも知られます。
「シンディはわたしの原点。頭に洗濯ばさみ、耳に鳥のイヤリング、ブーツに時計巻いて、めちゃめちゃかわいすぎる。『シンディみたい』と言われるのがうれしかったんや」
シンディに似せて作った人形まであるんです。ヴァネッサも歌が大好き。若い頃から勤め先のスナックで歌っていました。そのうちバンドに誘われてライブでも歌うようになります。そんなところも“浪速のシンディ”と呼ばれるゆえんです。
離婚を契機に「赤毛のネェネェ」開店
ヴァネッサがこのお店を開いたきっかけは離婚でした。専業主婦でしたが、夫との生活が成り立たなくなり、離婚しました。
「その頃ずっと泣いとったんよ。小学生の息子がおったから『これから自分で食っていかなあかん』と思ったけど、どこのお店で働こうとしても『うち、外人無理』って断られるんよ。外人ちゃうっちゅうに」
なんとか知り合いの大阪・阿倍野の沖縄料理店「赤瓦」でアルバイトを始めました。この店で修行していくうちに「ヴァネッサが一人で息子を食わせていけるぐらいの小さなお店を作り上げよう」という話が赤瓦グループで持ち上がりました。具体的な話は店のボス(経営者)が支援してくれました。
どこに店を出すかいろいろ物件を見て回っていた時に、ハイハイタウンでこの場所を見つけます。
「一目見て『好きかも』と感じたんよ」
ここを選んだのは他にも理由があります。それは、ハイハイタウンの地下はガードマンが巡回しているから安心できること。そして地下全体が深夜0時で営業が終わることです。このことは、小学生の一人息子を抱えたヴァネッサにとっては大きなメリットでした。
「なるべくトーマ(息子)と一緒にいたかったから、0時に帰れるのはありがたかったんよ」
開店当初、トーマはよく店に来ていました。お母さんが恋しかったのでしょう。店に子どもがいても自然な雰囲気が、ハイタン地下1階にはありました。近鉄線や地下鉄の駅への通路にもなっているから、今でも子どもたちの集団や親子連れがごく当たり前に歩いています。通路には街灯が立っていて、飲み屋街なんだけど明るい。そんなところもここを選んだ決め手でした。
店名はボスが決めました。ヴァネッサ自身もオープンの日まで知らず、看板を見て「何この名前!」とびっくりしたそうです。ですがヴァネッサは赤毛で、ネェネェは沖縄で「ねえさん」の意味なので、沖縄出身のボスにすると「ぴったりの名前」だったようです。
最初の1年は散々だった
地下のお店は地上よりも目立ちにくく入りにくいだけに、常連さんができるまでが大変です。赤毛のネェネェも最初はお客さんがなかなか来なかったといいます。たまに来るお客にも泣かされました。
「お客にめちゃいじめられたんよ。『ハイタンでこの値段かい。うわ~高!半年もったらほめたるわ』とか。うちは沖縄料理の店としてはそんなに高いわけやないけど、ハイタンのほかのお店が安いからな」
ほかにも、あれを置け、これを置け、といった具合にお客のわがままに振り回されましたが、ボスに相談すると「そんなんあかんあかん、相手にすな」と常にアドバイスをくれました。
常連さんができた 北岡さんとセンパイ
そんなある日、2人連れの男性客が店に来ました。1人が「外人がやってるで。入ってみよ」と言いながら。この男性、偶然にもヴァネッサと同郷で同じ中学校の先輩とわかり、その後「センパイ」と呼ばれるようになります。「あの頃、店ガラガラやったな。そんな時期が結構長かった」
もう1人の男性客は北岡さんです。「たまたま入ったんやけど、この店は3か月もたへんと思ってた」
なんだかんだ言いながら2人はちょくちょく店に来るようになります。赤毛のネェネェ初めての常連さんです。当時のことをヴァネッサに聞くと…
「北岡さんとセンパイ、お客が2人だけの時期が結構あった。オープンした頃ね。センパイが『何や!この店は、アカンな~』言うて、『北岡さん、なんぼ出します?僕6000円出しますわ』『ほな俺4000円出すわ』って、2人で1万円、毎日置いていってくれたんよ。で、刺身置け~あれ置け~これあかん~よういろいろ言うてくれはったけど、まあ、とりあえず親戚のようにお付き合いしてた」
「トーマ(息子)はちっちゃい時からお店におって、北岡さんやセンパイになじんでね。学校帰りに来たりして。それでトーマが学校の先生に怒られて、殴られたことがあった。若い先生にね。そしたら北岡さんが『俺が行ったる~』って言うて、『何って言いにいくの?』って聞いたら『親戚や~って言って行ったる。お前、おやじおらんのやから、わしが行ったる~』って。何しか事あるごとに、お祝いがあったらご飯食べさせてくれたり、ほんとに家族のようにしてくれた」
こうして苦しい時期を支える常連さんができて、少しずつお客が集まるようになっていきます。そこにビッグウェイブが訪れました。
お店がテレビに出て一気にブレイク!
開店から1年ほどたったころ、テレビ局が取材に来たのです。大阪の朝日放送の「このへん!!トラベラー」通称「このトラ」です(現在は放送終了)。
「あれで一気にブレイクしたわ。番組見たお客さんがバーッと来るようになって。そのあとも出演者が何かと番組内でうちの店の名前出してくれて、ほんとあのおかげで店がうまくいくようになった」
骨折で店に立てず 存続のピンチも常連さんが救う
こうして経営が軌道に乗った赤毛のネェネェですが、何度かピンチが訪れます。中でも左腕を骨折した時は、2か月ほどお店に立てない状態が続きました。この店がシングルマザー・ヴァネッサと息子トーマの暮らしを支えています。店を開けなければ商売あがったりで、母子の生活は成り立ちません。
「北岡さんとセンパイが作戦会議開いてな。『これカンパ』言うてお金をくれたんよ。『そんなん受け取れへん』て言うたんやけど『店のピンチや。受け取らんかい』って渡してくれて。そのうちお客さんが立ち上がって、交代交代でお店に立ってくれるようになって。神戸から来てくれる人もいたんよ」
こうしてピンチを切り抜けました。このころヴァネッサは、息子のトーマが食事を残したりすると「北岡さんとセンパイのおかげでこれが食えてんでえ。残しなさんな!」と叱ったと言います。
10周年 赤毛祭り「何も知らない女が10年水商売したら…」
そして迎えた10周年は盛大にお祝いしようと、常連さんたちが集まって大阪・キタの兎我野町のお店を借り切り「10周年 赤毛祭り」が開かれました。
音楽仲間のバンドが次々に登場。ステージでライブを披露します。もちろん“浪速のシンディ”ことヴァネッサもステージに立ちました。
まずはアン・ルイスの“六本木心中”、続いて河島英五の“時代おくれ”。そして、ちあきなおみの“朝日のあたる家”。実はこれが今回ヴァネッサが一番歌いたかった曲でした。
“朝日のあたる家”はもともとアメリカ民謡で、ボブ・ディランやアニマルズなどいろんなアーティストがカバーしています。ちあきなおみのバージョンは日本語訳で「私が着いたのは ニューオリンズの 朝日楼という名の 女郎屋だった」という歌い出しで、娼婦の女性が人生を悔いるような内容です。
「何も知らない女が10年水商売したら、こんな切なさもあるわいさ、みたいな。大人女性の歴史とか、そーゆーいろいろありましたが、みたいな感じやね」
専業主婦だった女性が離婚して息子を抱えてシングルマザーになって、1人でお店を出して切り盛りしてきて、いろんなことがあった。そんな思いを込めたようです。
しんみり歌いあげた後は山本リンダ。「うわさを信じちゃ いけないよ」“どうにもとまらない”と、「ウララ ウララ ウラウラで」“狙いうち”で盛り上げます。ラストソングは欧陽菲菲の“ラヴ・イズ・オーヴァー”できっちりキメました。
途中、息子のトーマがあいさつに立ちました。開店時に小学生だった彼も、すでに成人しています。母とお店と常連さんが、彼を立派な大人に育ててくれました。
「ぼくの小学生のころを知っている人が大勢来てくれていて、感慨深いです」
そして最後に、「お母さん、ありがとう」大きな拍手が沸き起こりました。
「お客様の愛情で、皆さんとお友達になれた」
すべての出し物が終わって、最後の締めは、やはり主役、ヴァネッサのあいさつです。
「本日は本当にありがとうございます。まず一番にそれを、ありがとうございま~す。ほんとに何にもないお店で、さっきも名古屋から来た人が『すごいねえ、お料理、なんもできへんかったのにねえ』って今言うて帰ったんですね(笑)ほんまそうやった」
「わたし、いつもいいことがあった後、絶対ちょっと悲しいことがあるんすよ。ちっちゃい時から、むっちゃうれしいと思って調子乗ったらバーンと頭を打つんですよ。ずっとその生き方なんです。全然前に進まないし、勉強もでけへんし、成長できない。でもそんな私やのに、なんでみんなそんなに許してくれるんかなあ。わたし、めっちゃ勝手なことするし、言葉もキツいし、北岡さんとセンパイともけんかするし、だけどみんな優しいでしょ。本気でけんかするんですよ、お客さんと。そのたんびに反省したら、返ってくるのは愛情。お客様の愛情で、ほんまにかわいがってもうて、わたしはここにいる皆さんとお友達になれた。これからも支えあって生きていきましょう。ありがとうございました(拍手)」
すべてのシングルマザーが安心して暮らせる世の中を
ヴァネッサは、“赤毛のネェネェ”と、お店を支えてくれた周囲の人、常連さんたちのおかげで、シングルマザーの10年を切り抜けることができました。でも、誰もがヴァネッサのように周囲の人に恵まれるとは限りません。周囲に恵まれなくても、すべてのシングルマザーが安心して暮らし、子どもを育てられる社会。そんな世の中を実現したいと思わずにはいられません。
【執筆・相澤冬樹】