梅宮アンナが語る「親の家の片づけ」いちばん大切なことは何だったのか?
2019年12月に梅宮辰夫さんが亡くなってからの4年間は、一人娘のアンナさんにとって「父が遺したもの」への対応に追われる日々でした。中でも苦労したのは700㎡の“真(まな)鶴(づる)の家”。空っぽにして売却するまでのいきさつを聞きました。
「父・梅宮辰夫の思い出の家を一人で売却しました」
「父が愛した家は、私にとってとてつもなく重い家でした。守れなかったことは本当にふがいないけれど、後悔はありません」 梅宮アンナさんはそう振り返ります。その家とは、辰夫さんが建てた神奈川県・真鶴の海に面した邸宅のこと。アンナさんはその家を相続し、東京の家を引き払って母と住んでいましたが、2022年7月に売却したのです。 「あの家を維持するためには、お金持ちレベルではなく、大金持ちでなくちゃダメだったんです」
いちばん大切なのは「父の遺志を尊重してくれる」ことだった
固定資産税や光熱費だけでなく、700㎡の敷地内の植木は職人による手入れが欠かせず、白い外壁は海風で汚れ、定期的な塗り直しが必要でした。 「庭の大木が腐ってしまったときには、伐採とクレーン車での運搬に70万円。業者を調べ、見積もりをとり、お金の交渉をするのもすべて私の仕事。一人っ子ですし、母はお嬢さまですから」 しかもアンナさんは仕事のたびに上京。ホテルに宿泊する生活スタイルに矛盾を感じ始めました。 「3回忌のとき、パパのお墓に手を合わせて言ったんです。『もういいよね。私の力じゃ無理なんだ。もう限界。許してね』って。父は怒っているかもしれないけれど、わかってくれたと思っています」 それでもアンナさんは、できる限り父の遺志をくみとりながら売却を進めたと言います。 「こちらの希望を上回る買い取り額を提示してくれた方もいたんですが、『ここを民泊にしたい』って言うのでお断りしました。この家を愛し、お客さんを招いたときに『梅宮辰夫さんがこだわって建てた家なんです』って伝えてくれるような方に譲りたかったんです」
悲しみにひたっていても親の家は片づかない
その思いを100%理解して動いてくれたのが、地元のベテラン不動産屋さんでした。 「梅宮家の思いを次の住人に届けたい、という熱いハートをもった担当者さんに支えられました。地元の情報にも詳しいので、安易に東京の大手不動産屋さんに委託しなくてよかったと思います」 半年後には理想の買い手が見つかり、家具や生活道具はすべて片づけることに。 「東京にはほとんど運べないので、地元の知人に来てもらって調理用具や食器など全部持っていってもらいました。私は包丁を2本と数本のネクタイをもらっただけで、あとは見てもいません。ネクタイだけで2千本もあったんです。執着を手放さないと片づかないし、悲しみに浸るクセをつけちゃダメだって自分に言い聞かせました」 残った家財道具は回収業者に処分を委託し、アンナさん親子は真鶴の家をあとにしました。