なぜ今、企業経営に「倫理」が求められるのか 「パーパス経営」の理想と現実をつなぐ判断軸
数年前から企業経営の分野で「パーパス」が注目されている。ミッション、ビジョン、バリューの上位概念として、「自分は何のために存在するのか」、そして、「他者にとって価値のあることをしたい」という信念を意味している。組織や企業の存在意義を問い直す言葉だ。 立派なパーパスを掲げる企業は増えたものの、その実践に行き詰まっているところが出てきている。それは「パーパス」というきれいごとを実践するには、倫理(エシックス)を日々の【行動原理】にまで落とし込むことが求められていないためである。 【図解】エシックス経営の本質
それでは、倫理とは何か、そして、どのように企業経営に取り込んでいくべきか。「パーパス経営」ブームの火付け役でもあり、日本を代表する企業のアドバイザーを長く務めてきた名和高司氏が、このたび『エシックス経営』を上梓した。 以下では、パーパス経営に続く、エシックス経営の考え方を企業の事例とともに紹介する。 ■コンプライアンスを超えて 企業の不正・不祥事が後を絶たない。2015年のコーポレートガバナンス改革元年から10年近く経ってなお、残念な事態が続いている。いや、むしろ、悪化しているといってもよい。なぜだろうか?
ガバナンスが形骸化しているから、という指摘は、一見もっともに聞こえる。経営を理解していない素人社外取締役を集めても、まともなガバナンスができるわけがない(もっとも、それが執行側の隠れた意図なのかもしれないが)。 最近は大物経営者OBが名を連ねることも増えたが、過去の経営経験は、次世代ガバナンスへの移行の妨げにすらなりかねない。一方、社内出身の取締役を見渡しても、ガバナンスの本質をきちんと習得している人財は稀だ。
そのような取締役会では、昨今の事態を憂慮し、コンプライアンス(法令準拠)の強化を唱える論調が絶えない。もちろん、法令違反はもってのほか。経営者が法令違反を侵したり、見て見ぬふりをしているのであれば言語道断だ。 しかし本来、コンプライアンスを律するのは、そもそも執行、そして現場側の本務である。現場が正しく行動しない限り、仕組みを強化しても、必ず綻びは出る。 それどころか、「コンプライアンス過剰」に走ると、現場も経営も萎縮してしまい、できるだけリスクを回避しようとする。その結果、ますます業績は好転せず、株主からプレッシャーを受ける中で、規制や監視の網をくぐろうとあがく。悪循環は続く一方だ。