なぜ今、企業経営に「倫理」が求められるのか 「パーパス経営」の理想と現実をつなぐ判断軸
何が間違っているのだろうか? そもそも、「ガバナンス」という発想そのものに、ボタンの掛け違いがあるのではないだろうか? 日本語では「統治」と訳される。しかし、その言葉自体、ただでさえ「大日本帝国統治時代」を想起させてしまうほど、恐ろしく前時代的だ。しかも、「上から目線」であることは一目瞭然。 自由意志のある人間の行動は、外から統治できるものではない。統治ではなく「自治」(セルフガバナンス)こそが、向かうべき方向である。そのためには、規制で縛るのではなく、1人1人が原理原則に基づいて自律的に判断し、良い行動をとるような組織風土を醸成することこそが、求められている。
■エシックス経営の本質とは そのような次世代モデルを、筆者は「エシックス(倫理)経営」と呼ぶ。そこでは、いかに社員が倫理観を研ぎ澄ませ、自らが正しいリスクをとって行動できるかが問われる。 ただし、ここでも「エシックス」の本質を、正しく理解しておく必要がある。それは、「間違ったことをしない」という消極的な意味ではなく、「世の中にとって良いこと(ソーシャルグッド)」を積極的に行うという、より前向きな姿勢を意味する。言い換えれば、守りだけでなく、攻めの姿勢が求められるのである。
一方、その際に勢い余って、社会秩序を損なってしまうリスクもある。そのときに初めて、正しい「コンプライアンス意識」が本領を発揮する。アクセルとブレーキの両方を、社員1人1人が自らの中に内蔵していることこそが「自治(セルフガバナンス)」の本質であり、エシックス経営の一丁目一番地なのである。 したがってエシックス経営は、冒頭で述べたような不正・不祥事の撲滅という消極的な理由だけに求められるものではない。むしろ、ありたい未来に向けて、正しいリスクを積極的にとっていくときにこそ、本領を発揮する。
■「額縁パーパス」に陥る理由 昨今、「パーパス経営」が世の中に広がり始めている。これは3年前に『パーパス経営』を上梓して火付け役の1人となった筆者としては、大変うれしい話だ。 しかし実態を見ると、素晴らしいパーパスを掲げているだけに終わってしまっているケースが少なくない。多くの場合、経営者も社員も、パーパスを日々実践するまでに自分ごと化できていない。そのような残念な光景を、筆者は「額縁パーパス」と揶揄している。