冬季閉鎖前の閑散とした「黒部ダム」、人を近づけなかった厳しき山の片鱗を垣間見た
しかし北川と岩岡の強いリーダーシップと、機転、叡智、忍耐、努力、根性、涙、汗などにより(あぁ素晴らしき昭和)、7カ月かけて約80メートルの破砕帯を突破。ついにトンネルを開通させるのだ。 映画ではあまり触れられていないが、ダム本体の工事ももちろん厳しいものとなり、合計171人もの殉職者を出したという。
「黒部に怪我はなし」 ほんの60年前の近代工事においても、黒部の山は極めて厳しかったのだ。
■映画に描かれた大難所のトンネルを電気バスに乗ってスイスイと通過する 映画『黒部の太陽』を観て深く感じるものがあり、黒部ダム本体より、そこに向かうトンネルこそぜひこの目で見たいという気持ちが強くなっていた。 建設当時は大町トンネル、現在は関電トンネルと呼ばれるそのトンネルの起点は、長野県大町市にある。 市街地から車で県道45号扇沢大町線(大町アルペンライン)に入ると、みるみるうちに山深くなり、道端にニホンザルがしたり顔で出没するようになった。
朝から降っていた雨は11月中旬だというのにみぞれ混じりとなり、心細くなるころ、県道の終点である扇沢総合案内センターに着いた。ここの駐車場に車を置き、バスにてトンネルへと入っていくのである。
黒部ダムにつながる関電トンネルは関西電力が保有する専用道路で、一般車両が通行することはできない。かつてはトロリーバス、現在は電気バスが定期運行し、観光客をダムまで連れていく。 バス乗り場のある建物の中には、この辺にしばしば出没するというツキノワグマの剥製や、映画『黒部の太陽』を記念する石原裕次郎のサイン入りプレートなどが展示されていた。
黒部ダムは冬になると観光ルートが閉鎖されるので、一般人は4月中旬から11月30日までしか入れない。僕が訪ねた11月中旬は閉鎖前ぎりぎりのタイミング。 この時期はダム最大の見どころである放水が行われないことや(観光放水期間は6月下旬~10月中旬)、平日だったことも相まって、観光客はかなり少なめだった。 だが、そんなシーズンオフに訪れる酔狂な客に対しても、黒部ダムのマスコットキャラ「くろにゃん」は精一杯の愛嬌を振りまいて、とても健気だった。