科学者・中村桂子「21世紀の日本でパンデミックが起こるとは…」科学の知識が増えれば増えるほど、知識と日常のギャップは大きくなる
新型コロナウイルスが令和5年5月8日に「5類感染症」に位置づけられてから、1年が経過しました。令和6年3月末には治療薬や入院の公費支援が終了し、猛威をふるったコロナ禍から徐々に日常を取り戻しつつあります。そのようななか、JT生命誌研究館名誉館長の中村桂子さんは「ウイルスとは何かを考えることが、これからの生き方にとって大事」と話します。今回は、生命科学研究の草分け的存在である中村さんが、ウイルスとの向き合い方をまとめた著書『ウイルスは「動く遺伝子」』より、一部ご紹介します。 【写真】中村さんのお庭の片隅にあるコンポスト。枯葉を集めて自然の肥料を作っています * * * * * * * ◆生きものの世界は思いがけないことばかり 「2020年1月20日に横浜港を出港したクルーズ船、ダイヤモンド・プリンセス号に乗り、25日に香港で下船した80代の男性が、新型コロナウイルス感染症に罹患(りかん)していたことが、2月1日に確認された」というニュースを聞いた時は、それほど大変なことが起きたとは思いませんでした。 けれども、その後、横浜に戻ってきたクルーズ船の乗客の中で、発熱や呼吸器症状を呈している人が31人おり、その中に新型コロナウイルスに感染している人が10 人発見されたことが明らかになる頃から、何だか面倒なことが起き始めたなと思うようになりました。 ニュースで新型コロナウイルスという言葉を聞いた時のことを思い出して、横浜港の話から始めましたが、今ではよく知られているように、このウイルス感染の始まりはこの時ではありません。 2019年12月に、中国武漢でこれまであまり見たことのないタイプの肺炎患者2人から、新型コロナウイルスが検出されました。 そこで、コロナウイルスの研究でよく知られている疫学者、シー・ジョンリー(石正麗)が武漢に呼ばれ、同定(どうてい)(同一であることを決めること)が進められました。 実は中国では、2002年から2003年にかけて、SARS(重症急性呼吸器症候群)に8100人が罹患し、800人近くが亡くなるという体験があり、この病原体がSARSコロナウイルスでした。 そこで中国の専門家は、同じ仲間のウイルスによる感染症には、すぐに対処しなければならないという緊張感を持っていたのです。 日本でSARSが起きなかったのは幸いでしたが、感染症への関心が生まれなかったことで、新型コロナウイルスに対して、当初はあまり怖さを感じなかったように思います。 ところで、コロナウイルスの専門家であるシー・ジョンリーは、新型コロナウイルスの同定後、「こんなことが武漢で起こるなんて思いもしなかった」と言っています。 本来コウモリの中にいたウイルスが人間に感染するようになるとしたら、中国の南部、つまり亜熱帯地域しかないと思っていたと言うのです。 専門家の常識に基づく予測ははずれたわけで、生きものの世界は思いがけないことばかりなのです。 それからの3年間、私たちは思いがけないことに出合い続けてきたように思います。
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