一つじゃない「真実」に寄り添い、伝える 湯浅彩香・弁護士 あの日から③
「逆転無罪」。昨年11月28日、判決の言い渡しがあった大阪高裁の法廷を飛び出し、裁判所の敷地外で待つ支援者らに向かって、その4文字が墨書きされた旗を大きく広げた。 裁判で、養子の女児=当時(2)=への傷害致死罪などに問われていたのは、一貫して無実を訴える男性被告。弁護士1年目だった湯浅彩香さん(31)が約5年前、初めて携わることになった「否認事件」だった。 今でこそ支援者は増えたが、当初届いていたのは非難の声だけ。「味方がいない人の味方になりたい」。逆境で体を突き動かしてきたのは、幼い頃に抱いた純粋な思いだった。 大学を3年で中退し、法科大学院に進んだ。弁護士志望だったものの、当時目指したのは刑事弁護の世界ではなかった。1年目の春休みにエクスターン(就業体験)先に選んだのは、企業法務を専門に扱う法律事務所。華やかなイメージに、漠然と憧れを感じていた。 だが、実際に働いてみると心が動かなかった。「なぜ弁護士になりたいのか」。自分に問いかけ浮かんできたのは、小学生時代の記憶だった。 人と違う視点に立つのが好きで、「ユニーク」といわれるのがうれしかった。容疑者や被告に対する「世間の目」は厳しい。それは学校教員だった両親も例外ではなかった。そんな中で、同じニュースを見ても背景事情に想像を巡らせ、「私なら受け止め、守ってあげられる」と考えてみる。そんな子供だった。卒業文集には将来の夢を「弁護士」と書いた。 「刑事弁護では食えない」。弁護士業界ではしばしばこういわれる。実際に周囲からも「やめた方がいい」と引き留められた。それでも「私が本当にやりたかったのは刑事弁護」。原点を再び胸に刻み、エクスターンが終わるころには腹が決まっていた。 司法試験に合格し入所したのは、「冤罪(えんざい)」を訴える人の〝駆け込み寺〟のような法律事務所だった。否認事件の数は刑事裁判全体の1割にも満たないが、この事務所で担当した事件では4割に上った。「どんな悪人でも弁護する」と意気込んでいたものの、「弁護士からみても冤罪だと思う事件の多さに驚いた」。 事件では被害者側の証言が尊重される一方、疑われた側は信じてもらえず、声が軽く扱われることが多いと感じる。だからこそ弁護人になれば、そんな「小さな声」を信じ切る。たとえだまされても、それでいい。