子どもの「海外体験」を買う富裕層、「近所のお祭り」すら行けない低所得層…体験格差は親の自己責任か?
親の努力でどうにかできることがないわけではない。それはそうかもしれない。様々な制約の中で必死の工夫を重ねる保護者たちもいる。 ただやはり、子どもたち1人ひとりの姿を思い浮かべるなら、そしてかれらにはどうにもできない「体験」の格差のことを考えるなら、それが保護者の自己責任に帰すれば済む問題でないことは、明らかだと思える。 ● 「楽しい思い出」は 人生のエネルギーになる 「文化的体験」の中で、旅行やお祭り以外の参加率はどうなっているだろうか。それをまとめたのがグラフ16だ。動物園や水族館、音楽鑑賞、あるいはスポーツ観戦などでも世帯年収による格差が生じている。 こうした「体験」の数々は、そして「体験」の欠落の数々は、1人ひとりの子どもたちが成長する過程の中で徐々に蓄積していく。 その1つひとつは些細なものに見えるかもしれない。美術館に行ったことがあるのかないのか。演劇を鑑賞したことがあるのかないのか。しかし、それはゆっくりと蓄積していくのだ。どこにも行くことのない休日も、遠出や旅行のない夏休みも。
もちろん、学校教育の中でも、色々な「体験」をする機会はある。しかし、それらに加えて、学校の外でもより豊富な「体験」をできる子がいる一方で、そうした機会がほとんど与えられない子たちもまたいるのだ。 生活困窮家庭や不登校の子ども・若者の支援事業を行うNPO法人TEDICの代表理事を務める鈴木平氏は、活動をする中で、「様々な困難を抱えている子どもにとって、学校の外で行ったキャンプやお出かけの思い出が、生きるうえでの心のよりどころになる」と感じてきたという。 一緒にキャンプに行った男の子は、数年経った今もそのときのことを楽しげに語ってくれる。昔の「楽しい思い出」が、しんどい日常に戻らなくてはいけないときにも、もう少しがんばってみようというエネルギーになると思う。 かつての「楽しい思い出」が、つらいことに直面したときに心の支えとなることがある。子どもだけではない。大人にとってもそうだろう。そんな思い出を「休日」の中で1つずつ、ゆっくりと積み重ねていけるかどうか。残念ながら、この社会の現実の中では、まだまだ「当たり前」から程遠い理想だ。
今井悠介