ブドウ「甲州」は、当初ワインに向かない品種だった。醸造家の熱い思いが生んだ、大きな技術革新とは。辛口甲州ワインが人気になるまで
農林水産省が実施した「作況調査(果樹)」によると、令和4年産果樹の結果樹面積は16万6,000haで、15年前と比べて4万4,200ha減少したそうです。近年の経済不況も手伝って、果物が食卓に並ぶ機会が少なくなっていますが、技術士(農業部門)で品種ナビゲーターの竹下大学さんは「日本の果物は世界で類を見ないほど高品質。それゆえ<日本の歴史>にも影響を及ぼしてきた」と語っています。そこで今回は、竹下さんの著書『日本の果物はすごい-戦国から現代、世を動かした魅惑の味わい』から「甲州ワイン」についてご紹介します。 【書影】日本発展の知られざる裏側を「果物×歴史」で多種多様に読み解く、もうひとつの日本史。竹下大学『日本の果物はすごい-戦国から現代、世を動かした魅惑の味わい』 * * * * * * * ◆近年の甲州ワイン品質向上プロジェクト 「甲州」は、ワイン用品種としては四重苦を抱えている。極端にいえば、「味無し」「香り無し」「酸無し」「苦味あり」の4つだ。 生食用の品種でワインが造られることが少ないのは、ワイン造りには重要な酸味が生食では嫌われるため。 また生食用では大粒が好まれるのに対し、ワイン用では小粒が求められるなど、それぞれに必要とされる果実の特性がトレードオフの関係にある場合が多い。 大人気の「甲州」も、ワイン用としては安い甘口白ワインの原料という位置づけだった。 こう聞くと、「甲州」でおいしいワインを造ることなど端から諦めたほうがよいようにも思えてしまう。 が、日本固有品種「甲州」を使い、世界に通用する日本オリジナルワインを造りたいという山梨県の醸造家たちの思いが、大きな技術革新を生む。
◆技術革新の先陣を切った「メルシャン」 中心的役割を果たしたのは、大日本山梨葡萄酒会社を源流とするメルシャンであった。 メルシャンは山梨大学とともに、1975年(昭和50年)から甲州ワインの品質向上に取り組み、フレッシュな果実味を生かした甘口ワイン「勝沼ブラン・ド・ブラン」を造ることに成功する。 しかしこの時点では、いまのような辛口の甲州ワインはまだ誰一人として造ることができなかった。 四重苦の「甲州」で辛口の優れたワインを造るのには、甘口の優れたワインを造る10倍の困難を伴ったと関係者は語る。 なぜなら個性のない「甲州」だけを使って仕込む限り、おいしい白ワインなど実現不可能だというのが、ワイン醸造家の常識だったからだ。 この常識を覆すべく、さらなる技術革新の先陣を切ったのはまたしてもメルシャンであった。 1975年といえば、日本で辛口ワイン(果実酒)の消費量が甘口ワイン(甘味果実酒)を抜いた年である。この社会変化もメルシャンの醸造家の背中を押したはずだ。