【最果タヒさん】インターネット発詩人の「SNSとの付き合い方」「顔出ししない理由」
小さな頃の感覚を閉じ込めておける、それが絵本の魅力
最果さんが新刊発売に合わせて書店で行う選書フェアでは、よく絵本を選ぶそう。それは幼少期から絵本に親しみ、絵本が今でもとても好きだからだと振り返ります。 「母が絵本が好きな人で、家に絵本がいっぱいありました。毎日寝る前に母が絵本を読んでくれるんです。好きな絵本はたくさんありますが、『しろくまちゃんのほっとけーき』(わかやまけん著/こぐま社)、『くまさんにあげる』(神沢利子、平山英三著/童心社)、『パンやのくまさん』(フィービ・ウォージントン&セルビ・ウォージントン著、まさきるりこ訳/福音館書店)。ホットケーキとかクッキーとか、絵がどれもおいしそうで好きだったんですけど、読むたびにその時の好きという感覚を思い出せるのがすごく幸せなことだと思って。小さな頃の感覚を閉じ込めておける、それが絵本の魅力だと思います。 以前に『ここは』(河出書房新社)という絵本を作らせてもらったのですが、イラストを担当された及川賢治さんがすごく素敵な絵を描いてくれました。ページをめくりながら、“この人が好き”“この家が好き”とかいう子が出てくると思うんですけど、それがその子の思い出になり、その思い出が本に込められていくことで、絵本がその子だけの絵本になる。それが嬉しいです」
詩が読んだ人自身の言葉になって欲しいから、私の存在感は薄い方がいい
最果さんは詩をブログで書き始めた当初から顔を出さずに活動してきました。その理由は、作家の顔や印象に影響されず「詩が読んだ人自身の言葉になって欲しいから」だと言います。 「昔、国語の教科書の最後に著者の写真とプロフィールが載っていて、小説を読んだ後にそれを見て、“ああ、この人の話か”となる感覚が、ちょっと嫌だったんですよね。そうならないように私の存在感は薄い方がいい、私のイメージがない方がいい。特に私の作品は、読んだ人が自分の気持ちを詩に重ねて、その人だけの作品として受け取ってもらうものだから、余計にそう思います。読んだ人自身の言葉がそこにあると思ってもらえるように、私はできるだけ透明でいた方がいいかなぁって。私は自分の気持ちを詩に書いているわけじゃないのですが、読み手はついそう思いがちで、丁寧に著者の意図を汲み取ろうとしてしまいます。でももっと読者の人が自分のものとして言葉を受け取ってくれたらいいなって私は思っています」 直接読者と会うことはありませんが、インターネットやSNSで、自分の作品を読んだ人の感想を見かけることもあるそう。もしネガティブな意見と出会った時は、距離を置くように気をつけているとか。 「私を好きじゃない人がいるのは当たり前のことで、でも、ショックは受ける感覚はあります。だからそこにはできるだけ近づけないようにしています。好きじゃない人がいるのは当たり前だし、私がその人に好かれようとするのも意味がないことです。インターネットとどう生きるかというより、人と人の関わりでしかないので、いろんな人と距離をどう取るかが大事なのかなと思います。いろんな人がいて当たり前だと思っていたいです。