高齢者は本当に家を借りにくい?終の棲家は必要?人気建築家が<家に人生を捧げがちな日本の住まい方>を見直して気づいたこと
◆家は小さくていい 日本人はみな同じような姿カタチで髪形、生き方までもが似たり寄ったりだと評されてきた。だが、この一体感があったからこそ、みなで心通わせ一緒に田んぼや漁場を守り育んできた。尊い先人たちの足跡である。 時代は過ぎ、インターネットが普及しグローバル化の波がやってきた。さまざまな国からの訪問者、就労者、移住者が増え、今では彼ら彼女らの文化や発信する言葉、振る舞い、バックボーンを徐々に受け入れることにも慣れてきた。 ときどきハッと気付かされることもある。彼らの着眼点や観念の角度だ。信仰であったり、戦争観をきっかけに、テレビで観ていた正義のヒーローが絶対ではなく、世の中は立ち位置によって変わるのだと。 良い悪いではなく、現実を素直に受け止めて真正面から向き合い、そして分かち合うことが大切だと。 次の目的地に向かって切符を手に入れたら一安心とばかりに、人生のレールの上を猪突猛進するのではなく、自分の足で、自分で決めた人生の目的地に向かう。 多少の失敗はするかもしれないけれど、「なあに、今までの経験を生かし上手に乗り越えられるだろう」と進めば、自分だけの青い空と爽快な人生が眺められるに違いない。 そうと確信したなら話は早い。身軽なほうがフットワークも軽いから荷物も身に着ける物も必要最小限でいい。それらを包み込む家も小さくていいだろう。 人生の冒険にはお金もかかるから、多少の軍資金も残しておきたい。ますます小さな家で十分になってきた。はるか遠くを目指したくなってくれば、家を引っ越す必要も出てきそうだ。やっぱり家は小さくしておこう。 終の住処は昔の話。たどり着いた理想郷で、愛おしいくらいかわいい小さな家で暮らしてみよう。マトリョーシカのようにだんだんコンパクトになる人生も潔い。
◆終の住処はいる?いらない? 75歳まで存分に生きたとして、そのあとはどうするのか?最終的に終の住処が必要になるではないか?そんな声も聞こえてきそうである。 たしかに高齢になると賃貸物件が借りにくくなる。「老後に住む家がない」と騒ぎ立てるメディアの記事も見かける。 しかし、だからと言って今住んでいる家を終の住処とするのは、人生の可能性を狭めることになるのであまりお勧めしない。 仮に30代・40代で子育てしやすい家を購入したとする。しかし、子どもは20年もしないうちに巣立ってしまう。残った家が夫婦二人暮らしにマッチしているかといえば、そうでない場合も多い。 もし、今お住まいの地域が気に入っていて、老後も住み続けたいと考えているなら、今の家で老後も快適に暮らせるかどうかを考えてみよう。 「ちょっと大きすぎるかもしれない」「段差が多くて老後は大変になるかもしれない」などの不安があるなら、同じ地域で住み替えをするという選択肢もアリだと思う。 まずは家の資産価値を調べて、値段が付くようなら売却。しばらくコンパクトなマンションを借り、じっくり終の住処となる物件を探す。 またはそのまま賃貸を続け、身体の不自由を感じ始めたら高齢者向けの施設に移ってもいいだろう。 子どもに不動産を残したいという考えもあろうが、今や売却ができずに空き家となれば、資産ではなく「負動産」になりかねない。 そう考えると終の住処を持たずに生きる、すなわち終活として生き方をコンパクトにし、子どもの負担を最小限にすることは理にかなっていると思ったりもする。 とはいえ私も建築家なので、終の住処はいらないと断言するつもりはない。予算が許せば新築もいいものだ。 コンパクトな家なら、今の大きな家を大規模リフォームするのと大して変わらない金額で建てられることもある。 私のクライアントにも老後に暮らしやすい家を新築して、第二の人生を謳歌している方がいらっしゃる。そして、全員が幸せそうだ。
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