日大の第三者委が最終報告(全文1) アメフト部は内田監督の独裁体制だった
監督・コーチ・大学の“保身会見” 危機管理の最大の失敗
そうこうしているうちに本件は5月18日には毎日新聞が、翌19日には朝日新聞、読売新聞がそれぞれ社説で本件を取り上げるという異例の時点に発展し、本件は社会問題化し、大学の信頼は大きく損なわれていきました。5月19日に内田氏が監督を辞任し、5月21日になって大学側は第三者委員会の設置方針を決定したもの、動きは鈍く、22日のA選手の記者会見、これに真っ向反する23日の内田氏・井上氏の記者会見が行われました。内田氏・井上氏の記者会見は理事長・学長も了解の下で日大広報を介し、日大講堂で行われましたが、選手に責任を押しつける内田氏・井上氏の態度に世論が激高し、日大当局へは抗議の電話が鳴り響きました。 5月24日には日大アメフト部が関学大アメフト部に再回答書を送付しましたが、内田氏・井上氏の言い分はそのまま記載する内容のものでした。5月25日、新聞はまたそろって本件を再度社説で取り上げました。そこで批判されているのは、本件が本来は学生を守るべき立場にあるはずの大学が、それとは真逆の立場に立つかのような姿勢で本件に臨んでいたことでした。特にA選手の記者会見の翌日にそれを真っ向否定する監督・コーチの記者会見を日大講堂で開いたのは、監督・コーチの保身のみならず、大学の保身、組織防衛と見られても仕方のないことであり、大学としての危機管理の最大の失敗でした。 同日、大塚学長による記者会見が行われました。大塚学長は当初、本件を部と部の問題と捉えていたことが対応の遅れた原因であることを認めましたが、A選手に責任をなすりつける内田氏らの発言に対するコメントはなく、会見も歯切れの悪いものになりました。日大常務理事会が、第三者委員会の設置を正式に決定したのは5月29日であり、その発足は31日です。その後も本件は新聞、テレビなどで繰り返し取り上げられつつ、事態は徐々に沈静化に向かっていくのではありますが、日大の事後対応に大きな問題があったことは疑いはありません。