日大の第三者委が最終報告(全文1) アメフト部は内田監督の独裁体制だった
元理事の井ノ口氏「総力挙げてつぶす」と口封じ
まず、5月6日に本件が発生しました。ネットではその日のうちから映像が流れだしました。5月9日、関東学連が本件に関する規律委員会を設置しました。5月10日、内田氏に対する厳重注意処分を関東学連は発表しています。一方、内田氏は本件が選手の独断により行われたと受け止められるような謝罪文をアメフト部の公式サイトに発表しました。5月11日、内田氏および井上氏はA選手およびその両親と面談しました。A選手の父親は本件が監督・コーチの指示によるものであり、A選手はそれに従っただけであるとの内容の公表を求めました。しかし、内田氏はこれを拒否しました。また、A選手の父親は規律委員会で正直に話してよいかと尋ねましたが、内田氏はそれは困ると言いました。 5月12日には関学大が第1回目の記者会見を行いました。この辺りでは内田氏とA選手の言い分が異なることがはっきりしており、関学大が記者会見を開くなど、大きな騒ぎになり始めていたのですから、本来なら日大は中立・公正な立場で情報収集し、事実調査を開始し、真相解明に動きだすべきでした。しかし、実際に行われたのは真相解明とは真逆の行為でした。 5月14日、内田氏は井上コーチを介し、規律委員から事情聴取を受ける予定になっていたA選手とその父親を三軒茶屋キャンパスに呼び出しました。そこで当時の井ノ口理事、その後辞任しましたが、井ノ口理事が、本件タックルが内田氏の指示によるものではなかったように説明するよう促し、本件タックルが故意に行われたものだと言えばバッシングを受けることになるよ、私の言うことに同意してくれれば私が一生面倒を見る。そうでなかったときは、日大が総力を挙げてつぶしにいくといって脅して、口封じを図りました。同日、東大など3大学のアメフト部が春の日大戦の中止を発表し、スポーツ庁の鈴木長官が定例記者会見で本件危険タックルについて言及しました。このころには誰が見てもアメフト部だけに対応を任せておくのは適当でない状況になっていました。しかし日大では相変わらず内田氏任せでした。 5月15日、日大アメフト部から関学大アメフト部に対する回答書が届けられました。内容は内田氏・井上氏が保身のため自らの指示を全面否定し、選手へ責任を転嫁するもので、関学大の理解は得られませんでした。5月16日になってようやく日大当局は日大本部で関係選手数名の事情聴取を開始しました。しかし、事情聴取の直前に、事情聴取の準備に関与していた日大職員の1人が関係選手数名に対して、事情聴取の際には監督の指示について話さないよう口封じを図るなど、事情聴取自体がずさんなものでした。 5月17日には産経新聞が本件について社説で言及し、その後、大新聞が相次いで本件を社説で取り上げるほど、本件は大きな社会問題となっていきました。日大には危機管理規定という規定があります。社会的影響の大きな問題や、その他、大学の信頼等を大きく損なうような事案については理事長の判断で危機対策本部を設置して、理事長が本部長になり、危機事象に対処するとされています。しかしながら、この規定が発動されることはありませんでした。また、5月17日には日大当局がA選手の父親と弁護士に会い、A選手が本件タックルは監督・コーチの指示によるものであると明確に述べていること、5月14日に井ノ口理事による脅しのあったことを把握しましたが、それでも適切な対応は取られませんでした。 5月18日、日大が学部長会議、理事会を開催しました。いずれも理事長、学長、内田、当時の常務理事らが出席していました。が、しかし、本件はアメフト部の問題であると整理され、学部長会議で加藤アメフト部部長からは部として現在、原因を調査している。学長からは現在、関学大と、部と部としての話し合いを進めているところである。理事会では、理事長からは本件についてはまだ何も解決しておらず、各理事においては十分気を付けて対応していただくようお願いしたい、などという発言があったのみで、本件の解決に向けて大学を挙げて議論し、取り組もうとする姿勢はまったくありませんでした。すなわち、理事長も学長も本件は人ごとであり、本件をアメフト部の問題として捉えていました。あまりにも無関心であり、無責任でありました。