【闘病】「トリプルネガディブ乳がん」 後悔はあの時もっと詳しく検査しなかったこと
「いつかは自分も乳がんになるかも」。そんな想いで闘病者のみのりさん(仮称)は乳がん検診を受けていたとのことでした。予防意識の高い人と言ってもいいのかもしれません。それでもやはり、「再検査」と言われただけでとてもショックだったそうです。「元気そのものだった」というみのりさんが、乳がんと診断されてから治療を終えて現在に至るまでの話を聞かせてもらいました。 【画像】ウイッグ姿のみのり(仮称)さん ※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年2月取材。 [この記事は、Medical DOC医療アドバイザーにより医療情報の信憑性について確認後に公開しております]
不調はまったくなかった
編集部: 最初に不調を感じたのはいつですか? みのりさん: 不調は全くありませんでした。「何となくだるい」「疲れやすい」といったこともなく、元気そのものでした。 編集部: 受診から診断に至るまでの経緯を教えてください。 みのりさん: きっかけは市のがん検診でした。私の場合、マンモグラフィ検査では「問題なし」と言われたのですが、触診で「3mm程のしこりがある」と告げられ再検査となりました。そことは別のレディースクリニックへ精密検査を受けに行きました。 編集部: どのような気持ちでしたか? みのりさん: 衝撃でした。母も乳がんだったので「いつかは私もなるかも」と、検診は意識して受けるようにしていました。9人に1人と言われていますし、覚悟はしていたつもりでしたが、いざ「再検査」と言われると大変ショックでした。再検査をしたクリニックでは「腫瘍はあるけど良性です」と言われ、半年毎の経過観察で大丈夫とのことですっかり安心していました。 編集部: そこからどのように診断にいたったのですか? みのりさん: 最初の検査から半年後、1年後の検査でしこりの大きさが3mm→9mm→1.2cmと変化していったので、詳しく検査をすることになりました。その結果を聞きに行った日に、乳がんだと告げられました。診察の扉を開けるとドクターの後ろに看護師さんが2人いて、「検査で悪性との結果がでました」と言われ、がんのタイプや治療法を説明されましたが、ほとんど頭に入りませんでした。「抗がん剤治療をすることになります」と言われたのは何となく覚えています。 編集部: その時どのように感じましたか? みのりさん: 診察室から出て待合室の椅子に戻ったのですが、そこから少しも動くことができず、息を吸うのもやっとなぐらいでした。なんとか病院を後にしてからも、近くの公園で4時間程動けずに頭は真っ白、ただただ不安と恐怖でしかなかったです。 編集部: どんながんだったのでしょうか? みのりさん: 私の乳がんは、がん細胞の表面にホルモン受容体もHER2と呼ばれるタンパク質も存在しない「トリプルネガティブ 」というタイプの乳がんです。Ki-67の数値がとても高いタイプでした。 編集部: どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか? みのりさん: 診断を受けたクリニックから紹介状をいただき、がん専門の病院へ行きました。そこで全身検査などおこなった後に、担当医より「部分摘出手術と放射線治療、抗がん剤治療になります。手術と抗がん剤治療のどちらを先にやるか考えてきてください」と言われました。 編集部: そのときの心境について教えてください。 みのりさん: 最初の告知の時に私のタイプは、抗がん剤は必須になると話で聞いていましたので、抗がん剤治療についてはある程度覚悟ができていました。治療の順番は迷うことなく「手術先行でお願いします」とお伝えしました。ちょうどコロナ禍で病院も手術数を減らし始めていたので不安もありましたし、一刻も早く悪い所を取ってほしいと考えたからです。