〈写真多数〉「もう家に帰れないと諦めています」「行政も頑張ってるけど」…能登半島地震から1年、現地を訪れて聞いた“リアルな惨状”
2024年元日に発生した能登半島地震から1年が過ぎた。 昨年の1月に現地を訪れ、多くの方に話を聞いた際、生活を取り戻すために欠かせない水道、電気、ガスの復旧が強く待ち望まれていた( 現地ルポ記事 参照)。また、発災から2週間が経っていたため、一般ボランティアのニーズが高まっていたことも記憶に新しい。しかし、道路事情の悪さが全ての障害になっていた。 【画像能登半島地震から1年、現地を訪れて聞いた“リアルな惨状”を写真で一気に見る
道路復旧が進まなかった“ワケ”
道路復旧が進まなかった要因は複数あるが、その一つとして、北陸地方では道路啓開計画が未策定であったことを指摘した( 道路啓開記事 参照)。“道路啓開”とは、とにかく車両が通行できる最低限の交通路を切り開くこと。緊急車両を通行させ、人命救助することを至上目的としており、インフラの機能回復を目的とする“道路復旧”とは大きく意味合いが異なる。道路啓開は、命を繋ぐ道を切り開くものである。 日本では、全国どこで巨大地震が発生してもおかしくないため、総務省が国内の全ての地域に道路啓開計画を策定するよう求めていた。例えば策定が完了している伊豆半島では、巨大地震が発生した際、自治体からの連絡が無くても民間業者が速やかに道路啓開に着手することになっている。 その一方で、計画を策定してこなかった地域もあった。業務の優先順位を理由に策定を後回しにしてきた北陸地域を襲ったのが、今回の能登半島地震だった。発災後、すぐに動ける状態だった七尾市にある建設会社は「何日経っても県から発注がこず、勝手に道路を直すわけにもいかない」と、悔しい思いを語っていた。 私は部外者ではあるが、道路に関わる者として同じく悔しい思いを抱えていた。道路は日常生活に欠かせないものだが、その重要性が最も高まるのは災害時である。しかしながら能登半島地震では、道路が役に立たなかったのだ。 発災から1年が経ち、道路事情はどこまで改善し、復旧・復興に役立っているのか。私は再び現地を訪れた。