〈写真多数〉「もう家に帰れないと諦めています」「行政も頑張ってるけど」…能登半島地震から1年、現地を訪れて聞いた“リアルな惨状”
「もう家に帰れないと諦めています」
この地区に住む男性(72歳)に話を聞いたところ、地震により孤立状態となった深見町の全住民は避難を余儀なくされた。ほとんどが石川県の粟津温泉に行ったが、夏頃、道路やインフラが復旧してからは、深見町へ帰って来る人も多かったという。 「帰るって言っても、自宅やないよ。マリンタウンの仮設住宅」 自宅に帰ることができた住民は少ない。また、仮設住宅も抽選に当たった人しか入れない。かといって避難先にいつまでもいることもできず、居場所を確保するために苦労している人もいるそうだ。 男性に、現在最も困っていることを聞くと、真っ先に「道路」という言葉が返ってきた。 国道は復旧したが、国道から自宅までの道はまだ手つかずのままだという。 自宅に車で帰れないため、暮らしに必要なものを取りに行くこともできない。道路が直っていないから、電気や水道も復旧しない。発災から1年が経つが、道路を復旧させる見通しも立っていない。 「もう家に帰れないと諦めています」と男性は寂しそうな表情を浮かべた。
橋という橋に段差が…
珠洲市宝立町鵜飼は、地震の揺れに加えて津波被害が大きかった地区だ。3メートルの津波が押し寄せ、家や車が流されて旅館の前に積み重なっていた光景は、忘れることができない。 そして印象的だったのが、マンホールや橋の隆起だった。 今回の能登半島地震では、被災したほぼ全域で橋梁に段差が生じ、交通の支障となった。実際に被災地を訪れた人なら「橋を見たら減速」は記憶に新しいだろう。橋という橋に段差が生じていた。 また、多くの地域でマンホールや雨水の集水枡が路面から飛び出していた。これは、地震に伴う液状化現象により、中空で軽いマンホール等が浮き上がるためだ。この鵜飼地区では、その現象が特に顕著にみられた。
旅館の前に積み重なっていた家や車はどうなったか
約11か月ぶりに訪れると、津波によって流されてしまった車は撤去され、一部の家屋は解体されていた。その一方で、1メートル以上も浮き上がったマンホールや、大きな段差が生じた橋は、そのままになっていた。 漁港の近くで船舶の作業をしていた男性に話を聞いた。最も困っていることを聞くと「こんなこと言うともっと困ってる人に申し訳ないけど」と前置きしたうえで、「あの橋が通れないことですね」と話してくれた。 鵜飼漁港の近くにある橋は、橋桁が1メートル近く持ち上がり、通行止になっている。この上流に架かる橋も通行止になっているため、何キロも迂回しなければならないという。 橋を架け替えるという話も出ているが、見たところ工事は始まっていない。男性の苦労は、しばらく続きそうだ。