〈写真多数〉「もう家に帰れないと諦めています」「行政も頑張ってるけど」…能登半島地震から1年、現地を訪れて聞いた“リアルな惨状”
復旧・復興に向けて着実に前進している一方で…
まず最初に訪れたのが、輪島市だ。2024年1月中旬の段階では、対向車と譲り合いながら通行するしかない箇所や、大きな段差が残る箇所も多く、輪島市に到達するのも困難な状況だったが、現在では道路の仮復旧が進み、全線2車線が確保され、スムーズに市街地まで到達できた。 しかし、中心市街地では、倒壊したままの建物が目立つ。 上の写真だけを見ると、大きな進展が無いように見えるが、全焼した朝市は解体が進み更地になっていた。 朝市周辺で行方不明者の捜索活動を行っていた京都府警の拠点だった駐車場は瓦礫置き場に変わり、全国から集結した消防や自衛隊の拠点だった駐車場やグラウンドには、仮設住宅が建ち並んでいる。 復旧・復興に向けて着実に前進している一方で、発災直後から何も変わらない景色も混在しているといった状態だ。 SNSでは、倒壊家屋がそのままだと発信する人がいれば、こんなにも復旧が進んでいると主張する人もいる。どちらか一方が正解なのではなく、「どちらも入り混じっている」というのが、震災から1年が過ぎた能登半島の現状だろう。 続けて、輪島市中心街から海沿いに伸びる国道249号を北東に走り、輪島市深見町を目指す。 地震により国道249号が分断され、私が前回訪れた2024年1月14日の時点では孤立していた地域だ。 当時は路面に大きな段差が生じてアスファルトが剥がれ落ち、無残な状態になってしまった国道を歩いて深見町に入ったのだが、現在は復旧が進み、自動車で走ることができた。 といっても1車線を確保するのがやっとで、片側交互通行が実施されている区間もある。 道路沿いの斜面が崩壊した現場では、崩落した土砂や樹木の上からコンクリートを吹き付け、これ以上崩壊が進まないようにして仮復旧している箇所があった。 大胆な方法だが、一刻も早く道を通そうと奮闘しているのが伝わってくる。 しかし、道路が復旧したからといって、町が平静を取り戻しているわけではなかった。