月間販売数15万食!割烹料理の技が光る人気弁当店 大手に負けない戦略とは
出戻り従業員もイキイキと~和食の技を生かした冷凍食品
升本フーズがコロナ禍を機に新たに始めた冷凍食品の事業。看板メニューの「亀戸大根あさり鍋」を家庭でも手軽に……と始めた。 他にも8種類の和漢食材を使った「玄米がゆシリーズ」や、高級な「どんこ」というシイタケを使った「緑豆はるさめ麺『どんこ』」などのオリジナル商品がある。「苦い」というイメージの薬膳料理を和食の技術で食べやすく仕上げた冷凍シリーズだ。 これらの商品を開発した星野宗は、升本で2回、送別会を開いてもらったことがあるという。 「おおらかな社長なので、戻ってきたいと思った人は拒まない。ちょうど自分自身も結婚して2人目の子どもが産まれる時だったので、『何でもやりますから使ってください』と言って(笑)」 2回目に戻った際、塚本から「薬膳料理をやってみないか」と提案されたという。期待に応えるため、星野は薬膳を一から猛勉強した。 「いくらチャンスを与えてもらっても、勉強しなかったり、怠けていたら、このチャンスを生かすことはできない。自分の料理の幅も広がったかなと感じます」(星野) 星野は冷凍事業の厨房責任者を務めている。出戻り社員でも、やる気を引き出してチャンスを与える。それが塚本流だ。 ※価格は放送時の金額です。 ~村上龍の編集後記~ 塚本さんは、幼いころ、飲食業に嫌悪感を抱いた。高校卒業後、家出同然で大阪に行き「馬賊になる」と言って中国語を学んだりした。それから30年、出会いがあった。「うかいグループ」感動して社長に手紙を出す。「10分だけなら」。若い人が一生懸命働いていた。既に40半ばを超えて、初めて飲食業の「光」を目にした。「あなたのところへ来た人を来たときよりも幸せにして帰しなさい」客の喜びを自分の喜びにできたとき、飲食業を営む者には、他の事業にはない「光」が差す。 <出演者略歴> 塚本光伸(つかもと・みつのぶ)1951年、東京都亀戸生まれ。高校卒業後、大阪へ行くが、父が倒れ店を手伝う。同時期に、日本大学法学部(夜間)へ進学。1988年、升本フーズを設立し、飲食店を数多くオープン。1998年、本店が全焼、その後、江戸料理店として再建。2001年、弁当製造販売事業を開始 ※「カンブリア宮殿」より