月間販売数15万食!割烹料理の技が光る人気弁当店 大手に負けない戦略とは
〇升本流弱者の戦略3~健康志向に特化した商品開発力 東京・港区の高級スーパー「ビオセボン」麻布十番店。フランス発祥のオーガニックスーパーで、取り扱うのは有機栽培の野菜や無添加の加工食品など健康志向の商品だ。そこに升本が肉や魚、白砂糖などを使わない、玄米や野菜中心の弁当を卸している。 仕入れ担当の「ビオセボン・ジャパン」商品本部本部長・浅田哲史さんは、弁当を作ってくれる業者探しに苦労したという。行きついたのが升本だった。 「一番大事なのは、社長を含めて見ているベクトルが一緒だったこと。食べておいしい、かつ安心して食べられることを升本さんは大事にされている」(浅田さん) 「ビオセボン」の要望は、動物性の食材などを使わないということだった。そんな要望でも、升本なら和食の技で応えられる。 例えば動物性のかつおだしを使わず、昆布だしで炊き上げた人参。これに加えるのは、えのきを乾燥させて粉にしたもの。かつお節によく似た風味がするため、味に深みが出る。 升本にはこうした和食の引き出しが数多くあるため、「ビオセボン」の要望に無理なく対応できた。 こうした弱者の戦略で、約22億円の売り上げの8割近くを弁当事業で稼ぎ出している。
利は喜びの陰にあり…~客も従業員も幸せになる商売
「亀戸升本」の割烹のラストオーダーは午後7時半。午後9時には店を閉めてしまう。従業員の暮らしを充実させるため、塚本が導入した。 「帰って子どもと話せる時間があるし、保育園に送ってから出勤しても大丈夫なようにフレックスにしてくれる。そういう面ではありがたいです」(料理長・長橋誠二) 塚本は1951年生まれ。両親は戦争で焼けた酒屋を居酒屋に変えて切り盛りしていた。幼いころの思い出は、朝から晩まで働き詰めの両親の姿だった。 「私はこの商売が大嫌いでした。親と夕飯を一緒に食べた記憶がないんです。親は朝から夜私たちが寝るまで働いている。それでも特別豊かではなかった」(塚本) 身を粉にして働いても暮らしが豊かにならないことに嫌気がさし、高校卒業後は家出同然で大阪へ。だが、ほどなくして父ががんを患い危篤に。「後を頼む」という父の最後の言葉に、「『俺はやらない』と言ったんです。すると母親は泣いてひっぱたいてくるし、親戚からは罵倒された」(塚本)。周囲から説得され、嫌々家業を手伝うことになった。 30代になると店を母と姉に任せ、勝手に不動産事業の会社を設立、大きな利益を上げた。だが、バブル経済の崩壊で事業に失敗。4億円の借金を背負ってしまう。 「もう倒産しかないと思いました。ちょうど4月の桜のきれいな時だったんです。もう俺の人生で、桜の木を笑顔で見ることはないな、という思いでした」(塚本) そんな時、知人の紹介で仕事が舞い込む。結婚式場などで有名な「目黒雅叙園」で社員食堂を運営する仕事だった。最悪の状況を、嫌いだった飲食業に救われたのだ。 「びっくりするようなチャンスが急に舞い込んでくる。あれほど嫌いだった飲食に救われました」(塚本) 塚本に大きな転機が訪れたのは45歳の時。当時箱根に開館したばかりの「箱根ガラスの森美術館」を訪れると、どのスタッフもイキイキと働く姿に衝撃を受けた。美術館を運営していたのは、都内を中心に17店舗の飲食店を運営する「うかい」という会社だった。 「飲食店はスモールビジネスだと思っていた。それがこんなすごいことまでやってしまうとは、『いったい自分は何をやっているんだろう』と。頭を殴られるような思いで、しゃがみ込んでしまったんですよ」(塚本) 塚本は「うかい」の創業者、故・鵜飼貞男さんに「会いたい」と手紙を送った。願いが叶い面会すると、鵜飼さんは美術館を訪れた人から届いた1通の手紙を差し出した。 それは生活苦にあえぎ、生きることをあきらめたとある夫婦が、最後の思い出にと「ガラスの森美術館」を訪れた時のこと。その幻想的な光景に心を奪われ、人生をやり直そうと決意。その後は貧しいながら幸せに暮らしているという。 手紙を読み終えた塚本に鵜飼さんは「利は人の喜びの陰にあり。人を喜ばすことは、大きな価値があるんですよ」と言った。 「本当に感動しました。飲食業が人の命まで助けるんだと。私はその時から哲学が変わりました」(塚本) 飲食の仕事に本気で向き合うことにした塚本は、客を幸せにするにはまず従業員を幸せにすべきだと考えた。 「自分たちが幸せになるために仕事をしようよ、ということです。幸せにするためにどうしたらいいか。いい環境、いい条件、いい給料をもらうことが必要」(塚本) 飲食業は「長時間労働、休みが少ない、給料は安い」が当たり前だった。塚本はまず、従業員がしっかり休めるよう、土日が休みの社員食堂の事業に力を入れた。さらに、忙しくて料理人が休めていなかった新宿や銀座などの料理店を閉め、工場で決まった時間に働ける弁当事業を新たに始めた。 従業員はみな、以前より家族と過ごす時間が増え、給料もよくなったという。 和正食(弁当事業)料理長・廣瀬雄一郎は、「お店だと温かいものを提供するじゃないですか。お弁当だと冷たいものをおいしく提供しなきゃいけない。その技術と工夫が面白いです」と、店舗での仕事とは違うやりがいを見つけていた。