「人の目を気にしてやめるのはもったいない」――北海道が生んだエンターテイナー・大泉 洋の50年
人生が終わった――母も泣いて励ました受験失敗
昨年、50歳を迎えた。多彩に活動する今、「大泉 洋とは何者ですか?」と尋ねると、「ん~難しいけど、エンターテイナーでいたいですね」と照れる。想像していなかった人生になっているというが、少年時代に萌芽はあった。 「子どもの頃の自分が今の自分を見たら、『なりたいものになったね』と言うんじゃないでしょうか。恥ずかしくて絶対言わなかったし、なれるとも思わなかった。高望みをしない悲しい人物でしたけど(笑)、心の奥底ではなりたかったでしょうね」 北海道江別市に生まれ、教師の両親に愛情深く育てられた。子どもの頃は父親とテレビばかり見ていたという。 「ドリフ見て、ひょうきん族見て、とんねるず見て……。車の中では落語のカセットテープ。『寄合酒が聞きたい』とか言ってね。話の組み立て方やオチの付け方、言いっぷりは、落語から学んだんじゃないかな。大人が笑ってくれるのが好きでしたね。記憶にあるのは、寅さんのものまね。『そうだろう、さくら』『おいちゃん、それを言っちゃあおしまいよ』。保育園の子どもが言ってりゃ、面白いですよねぇ」
小学校5年生の頃、祖父と同居するために札幌市へ引っ越す。転校生というアウェーな環境でも、笑わせることで人気者に。 「転校してきてすぐ、宿泊学習があって。クラスで出し物をしなくちゃいけなくて、コントをやったんです。その時に学年中が笑った。それが最初に多くの人を笑わせた経験だったかもしれない」 一方、学生時代に熱中するものはさほどなく、高校では帰宅部だった。 「高校の頃が一番パッとしなかったかもしれないですね。なんかモヤーッと、特にやることもない、そこまで楽しいと思うこともない。結局、中学も高校もテレビしか見てなかったんですよね」
大学受験で2年の浪人生活を送るが、望んだ結果にならなかった。これが「人生最大の挫折」だ。 「2浪目は、東京の有名なところはほとんど受けてましたよ。兄貴が2浪して、でも最後には全部受かって早稲田に行った。僕もそれくらいは行けるのかなと思って2浪したら、滑り止めの大学しか受からなかったんですよね」 この時に果てしなく落ち込んだ経験が、今の自分を支えているという。 「何日もずーっとベッドの隅に膝抱えて座って、泣いてましたよ(笑)。壮絶でしたね。おふくろがある日、部屋に入ってきて、泣きながら、『お願いだから元気になってちょうだい』と。人生、もう本当に終わった、真っ暗って感じでしたよね」