「フェミニストとして発言してきた自分が、男性を消費していいのだろうか?」推し活に励む中で…“女オタク”が気づいた問題点
「ふわっと付けたタイトルのようでいて、実は狙いがあってのことなんです。一見すると“男オタクの文化についてフェミニストがぐちぐちケチをつけている”本? いいえ、勿論、全然違います。むしろ、それは不幸な対立だと私は思っているので。あえて言うなら、オタクな学者が自らの推し活の中で考えたことをフェミニズム的見地でまとめてみた――でしょうか(笑)」 【写真】この記事の写真を見る(2枚) そう言って柔らかく微笑むのは、田中東子さん。いわゆる“ファン文化”を長く研究してきた田中さんの新著『オタク文化とフェミニズム』は、これまで雑誌等で発表してきたものに書き下ろしを加えた10章からなる論説集だ。今やすっかり市民権を得た「推し活」の現在地リポートを入り口に、アイドルと労働、オタクと消費、ルッキズムとジェンダーなどエッジの立ったテーマが並び、まさに今読むべき一冊となっている。 「本書で主に取り上げているのは、私と同じ“女オタク”と、彼女たちが推す対象である男性アイドルや2.5次元俳優などについてです。かつて、オタクという言葉で想起されるのは、若い女性アイドルや漫画、アニメを熱心に支持する男性が一般的でした。その理由は、この分野の研究者にも、本の書き手にも、女性がほとんどいなかったから。実際には女オタクだってずいぶん昔から存在していて、さまざまな文化を支えてきました。でも、例えば男性アイドルに群がる女性たちは“追っかけ”とか“ミーハー”と断じられ、オタクとは見なされてこなかった。それが“推し活”という言葉の登場で、再発見・再評価されるようになったと感じています」 確かに、オタクほど、ここ数年でそのニュアンスが変化した言葉もないだろう。さらに、フェミニズム的見地から推し活ブームを説明するならば、と前置きして、 「背景には、女性の経済的地位の向上があります。今、女性たちの多くは、額の多寡はともかく、誰に遠慮することなく推しにお金を投じられる経済力を持っている。それは、これまで“見られる客体”でしかなかった女性たちを“見る主体”へと押し上げたわけです。男性アイドルを推す女オタクは、そういう意味でわかりやすい構図でしょう」 かくいう田中さんも前述のとおり、寝る間を惜しんで推し活に励んだ時期があった。推しが出演する舞台やコンサートに通ったり、グッズを買ったり、ネット上での動画配信に時間やお金を注ぎ込んだり……。 「そこでふと気づいた――というより、実はずっと心の奥底で気になっていることがあったんです。それは、これまでさんざん女性の性や外見が消費されることを拒絶し、またフェミニストとして発言をしてきた自分が、“見る”側へと回った途端、自らの欲望のままに推しである男性を消費し、時に過剰ともいえる労働を強いている。本当にそれでいいのだろうか、と」 こうして実感した問題点を田中さんが発表すると、少なくない同志たちから賛同の声が寄せられたという。 「ああ、やっぱり、と思いました。そうなると次にお聞きしてみたいのは、これまで、例えば、若い女性アイドルを消費してきた男オタクたちに、そういう戸惑いはなかったのか? ということです。簡単に比べられることではないでしょうが、これからのフェミニズムを考える上でも、この角度で掘り下げてみる意味はあるのではと思っています」 そんな思いを込めて、書名から“女”を取った。オタクとして初めて同じ景色を見始めた男女。田中さんは次のフェーズを模索中だ。 たなかとうこ/1972年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科後期博士課程単位取得退学。東京大学大学院情報学環教授。専門はメディア文化論、第三波以降のフェミニズム、カルチュラル・スタディーズ。著書に『メディア文化とジェンダーの政治学』ほか。
「週刊文春」編集部/週刊文春 2024年12月5日号