弟は重度知的障がいで自閉症。きょうだい児の私が33歳で家族と絶縁した理由【ヤングケアラー経験談】
平岡葵さんは、重度知的障がいで自閉症の弟がいる「きょうだい児」です。『きょうだい児 ドタバタ サバイバル戦記 カルト宗教にハマった毒親と障害を持つ弟に翻弄された私の40年にわたる闘いの記録』(講談社)では、平岡さんの幼少期から大人になるまでの家庭での壮絶な経験が描かれています。インタビュー後編では、弟さんについての思いや、「絶縁」に至る経緯などを伺いました。 <漫画で読む>弟は重度知的障がいで自閉症。きょうだい児の私が33歳で家族と絶縁した理由【ヤングケアラー経験談】 ■私が我慢するしかなかった ――重度知的障がいと自閉症とのことで、弟さんとコミュニケーションの難しさはあったと思います。どんなことが大変でしたか? 自閉症があると、特定のことにこだわりを持つのですが、同じ音楽を大音量で聞いていて、その中で勉強しなきゃいけなかったり、外に聞こえるのではないかという恥ずかしさを感じることはありました。かといって音楽を止めればパニックになって頭突きをされるので、イヤホンをつけて、こちらが我慢するしかありません。 私はラジオにハガキを送るのが好きで、読まれたときのカセットテープを保管していたんです。それも全部弟にテープを引っ張り出して壊されたり、お気に入りのCDを壊されたりしたこともあります。自分のプライベートスペースがなく、自分の大切な物を守ることができなかったのはつらかったです。 ただ、弟は性格が悪くないんです。穏やかで、養護学校(現・特別支援学校)でも好かれていて、よくうちに友達が遊びに来ていました。 弟は、「これをしたらダメだよ」と注意したとき、理解できているときとできていないときがあるように感じました。私のお菓子を勝手に食べたとき、私が怒ると逃げるので、悪いことをしたのはわかっていたとは思います。 でもカセットテープに関しては、いたずらして私を困らせようとしたというよりは、トイレットペーパーを引き出すのが楽しいのと同じような感覚だったんじゃないかと。テープを引っ張り出すことでどうなるかがわからないから、なんで私が怒っているか理解できていたのかは疑問です。 ――弟さんに障がいがありつつも、カルトやDV、母親のオーバードーズのケアなど、弟さんの障がいと直接関係のないことも大変だったのだと感じました。平岡さんは、弟さんのことをどう思っていたのでしょうか。 障がいがあることには非がないですが、実際の生活では負担が大きいのも事実です。年子でもあって、弟は両親から愛されていたので、愛情の渇望や嫉妬心もありました。その一方で、弟を良くしたいと思い、文字や数字を教えたり、バカにしてくる奴がいない夜の公園に連れて行って遊ばせたりと、できる限りのことをしていたこともあって。アンビバレントな感情をずっと持ち続けていて、本来の自分が出せないストレスを抱えていました。 ただ、弟はだんだんと凶暴になって、私も弟の平手打ちが当たって、鼓膜が破れたこともあって……。 ――なぜ弟さんは凶暴化したのでしょうか? 弟はスラスラとしゃべることができるわけではないので、直接聞けたわけではありませんが、おそらく父が自分と母へ暴力をふるうのを見て学習したのだと思います。弟は中学生になって、身体が大きく、パワーもあったので、父は返り討ちにあっていました。 母へのDVに関しても、弟は母と一緒に寝ていたので、目撃することも多かったんです。まだ小さい頃は母が殴られているのを見て、弟はパニックになっていました。 大好きな母を殴る父、自分にも暴力をふるう父。小さい頃から積もったものが、パワーを持ったときに「仕返し」という形で表出されたのではないでしょうか。 ■少しずつ「うちはおかしい」と確信 ――現在、絶縁状態とのことですが、決定的なきっかけなどはあったのでしょうか? 何か一つの大きな出来事があったというよりは、一つ一つ段階を踏んで、自分の中で納得していって、絶縁に至った感じです。 親がカルトにつぎ込んだせいで、大学の途中で仕送りを止められてしまい、生活費と公務員試験の予備校の費用を自分で稼がなきゃいけなくて。睡眠不足が日常でしたし、食費もカツカツでしたし、生理不順にもなって体調を崩しました。 大学に進学してから、裕福な家庭の子が多い学校だったというのもありますが、うちほど子どもに負担をかけている家がないことに気づいて。中流階級の家庭でも「うちの親とは全然違う」と、相対的に見ることができるようになったんです。 友達に家族のことを話したら「無視するしかない」と言ってくれたり、就職して経済的自立をしたのも大きかったです。それでだんだんと「自分には関係ない」と思えたんです。 ――家族の問題をご自身から少しずつ切り離せるようになったのですね。 弟が暴れてしまうので、家族で出かけたり旅行に行ったりしたこともほぼなかったんです。物理的にも心理的にも少しずつ実家と距離を取る中で、海外旅行へ行ってみたり、自分の好きなことをする時間も増え、夫と出会い、夫の両親と話し、普通の家族がどんな感じかがわかるようになって。だんだんと、「うちはおかしかったのだ」と確信が持てるようになりました。 仕事は激務、セクハラ・パワハラは当たり前の職場環境、奨学金の返済もある。ハードな生活の中で、どんどんと追い詰められていき、「もう実家の問題まで、自分で持っていられない」と思い、手放しました。33歳のときのことです。私自身、絶縁が素晴らしいとは思っていません。でも自分が生きていくために、そうせざるを得なかったんです。 ――絶縁してから13年ほど経過していますが、今どう思っていますか? 私の場合は、もっと早く絶縁しておけばよかったと思っています。以前は家族の問題に関する情報が今のようにはなかったので、判断が難しかったですし、「親のことを悪く言うなんて」という圧力も強く、周りにも相談しにくかった。私が絶縁した頃に、毒親に関する情報が広がり始めました。 だから仕方なかったと思うのですが、絶縁せずに悩んでいた期間はもったいなかったという感覚もありますね。 ■良いことがなかったわけではないけれども ――きょうだい児が苦労の声をあげると「でも良いこともあったでしょう?」と言ってくる第三者がいますが、どう思いますか? 私が実家で暮らしていたのは、生まれてから大学入学までですが、それだけ長い期間ですから、もちろん一つも良いことがなかったわけではありません。でも大変だったことが多すぎて、「良いこともあった」なんて相殺できるものではないんです。 きょうだい児であるがゆえに、小さい頃から障がい者に対する優しい心を持ったり、先を読んだり察する力を培ったと思います。でもそういう経験をしなくても、世の中の多数の人は普通に生きています。家庭の中に障がい者がいなくたって、優しい人はごまんといますよね。 ――きょうだい児本人が「良いこともあった」と感じているのと、周囲が「良いこともあったでしょ」と言ってくるのとでは意味が違いますよね。 きょうだい児がみんな生きづらさを抱えているわけではなく、家族との関係が良好で、障がいのある兄弟姉妹のことが好きな人もいるのはわかります。でもほとんどつらいことがなかった人は、親がきょうだい児をケアする側にカウントするのではなく、子どもとして尊重してくれたり、助け合える両親だったり、恵まれている要素があるのだと思います。一部の例を取り上げて、「これがきょうだい児としてあるべき姿」と言うのはやめてほしい。 多くのきょうだい児の置かれた環境に問題がないのであれば、Xで匿名アカウントのきょうだい児による投稿もこんなに多くないと思います。言えないから匿名で話すしかないんです。 昔から一定数「でも良いこともあったでしょ」と言う人がいますが、安易にそういうことを言うのは傷つくと、はっきりと主張していいと思います。 【プロフィール】 平岡葵(ひらおか・あおい) 1歳年下の弟が重度知的障がい、自閉症、強度行動障がいを持つきょうだい児。保育園時代に一家でカルト宗教に入信し、修行等を強いられる。小学生のとき、母親の過去の不貞行為が発覚し、父親による家庭内暴力が始まる。母親は家出と薬の過剰摂取を繰り返すようになる。そうしたなかでも学業に励み、慶應義塾大学経済学部に合格・卒業。現在は家族と絶縁し、企業で働く傍ら、かつての自分と同じ境遇にいるきょうだい児たちとSNS等で交流し、彼らの精神的サポートもしている。 インタビュー・文/雪代すみれ
雪代すみれ