なぜ定年を控えたおじさんは歩き出すのか?
花や雲の生命力に感動できるようになるには、見る側の「構え」が必要だ。年をとって見る側の構えができて初めて、風景が開いてくれる。そして人は風景と対話するために歩きだす。ビーパルOB・宮川 勉が、年齢を重ねてこそしみじみと味わえる「歩く旅」の楽しみを考察。写真は中山道随一の難所・和田峠(長野県)にて。 【写真9枚】映画「犬神家の一族」でホテルとして登場した旅館を発見。高崎のだるま工場など、街歩きの様子を写真で見る
定年が近づくと歩きたくなる理由とは
おじさんは歩き出す。 特に定年を控えたおじさんは歩き出す。 私のまわりでも急に低山ハイクを始めたり、お遍路を始めたりする人が、あっちこっちに申し合わせたように現れました。 理由のひとつにはその頃になると、仕事も少し余裕が出てくるのだと思われます。それまでは平日仕事に疲れているので、ウイークエンドは休みたいのが人情ですよね。 また老後の体力づくりのためにという人もいるでしょう。今まで特にスポーツにいそしんできていない身としては、さて何をやるか、といってもジムに通う決心はつかない。それなら身近な「歩く」は気軽だし、何よりお金がかかりません。 さらにひとつの理由としては、ディスカバージャパンではないですが、日本の風景を見直してみたいという欲求が自然と湧いてくる年代なのです。
齢をとると人は感動できるようになる(野田知佑)
昔、カヌーイストの野田知佑さんが言いました。 「ミヤカワ、齢をとるとな、花を見ても雲を見ても、しみじみ美しいなあって感動するんだ(笑)。若いうちはそんなもんに感動しないだろう。たぶん自分の生命力が弱ってきて、まわりの生命力がきらきらと輝いて見えるのだろうな」 これと、おじさんの「歩き出す症候群」は関連があると思うのです。 花や雲に生命力があって、それに感動できるには、ある程度、こちらが弱らないと見えてこない(ここでいう生命力とは、無機物も含めてこの世の営みということ)。 そりゃあ、若いときの歩きっていえば、アクティブなトレッキングでしょう。 がしがし歩くこと自体が目的で、まわりの風景なんか目に入らなかったではないですか。 つまり私が言いたいのは、おじさんが歩き出すのは、ただ仕事や体力の関係だけではないということです。 見られるべき風景の側の事情というか、こちらの「構え」ができて初めて、風景が開いてくれるのだ、ということを強調したいのです。 そして人は風景と対話しに、歩きだしたくなるのです。