世界GP王者・原田哲也のバイクトーク Vol.129「小椋藍のチャンピオンは普段からの努力の賜物」
コンディション差の少ない現代のレースを勝ち抜くことの難しさ
1993年、デビューイヤーにいきなり世界GP250チャンピオンを獲得した原田哲也さん。虎視眈々とチャンスを狙い、ここぞという時に勝負を仕掛ける鋭い走りから「クールデビル」と呼ばれ、たびたび上位争いを繰り広げた。’02年に現役を引退し、今はツーリングやオフロードラン、ホビーレースなど幅広くバイクを楽しんでいる。そんな原田さんのWEBヤングマシン連載は、バイクやレースに関するあれこれを大いに語るWEBコラム。第129回は、ついにMoto2チャンピオンを獲得した小椋藍選手について語ります。 【画像】タイGPでチャンピオン獲得を決めた小椋藍
Moto2クラスでは初の日本人チャンピオン
日本人ライダーの世界チャンピオン誕生です! ロードレース世界選手権の中排気量クラスとしては青山博一くん以来15年ぶり、2010年に始まったMoto2クラスでは初となる快挙を成し遂げたのは、小椋藍くん。本当に素晴らしいチャンピオン獲得でした。 最初に強調しておきたいのは、Moto2でのチャンピオン獲得は本当にものすごい偉業だ、ということです。「すごい」では言葉として簡単すぎますが(笑)、でもめちゃくちゃすごいことなんです。それは、ほぼイコールコンディションで競われるレースだから。ライダーのスキルという点で、藍くんは世界の頂点に立ったわけです。 今のMoto2は、フレームこそカレックス、ボスコスクーロ、フォワードの3メーカーありますが、エンジンはトライアンフ製4スト3気筒765cc、そしてタイヤはピレリで共通です。こういったほぼイコールコンディションのレースで勝つのは、並大抵のことではありません。 タイムは常に極めて僅差で、藍くん自身も「0.2秒は圧倒的な差」と言っていましたが、まさにその通りだと思います。そこをどうにかするのは、ライダーの腕という要素がほとんど。単純にライディングスキルという点だけ取り出せば、現役当時の僕なんか、藍くんにはまったく及びません。本当にそう思います。 僕が世界チャンピオンになった当時は、中排気量の250ccクラスでもメーカーがファクトリー体制を敷いているのが当たり前でした。マシンは徹底的に自分好みに作り上げることができ、自分専用のパーツも用意してもらえました。 それはそれで難しさがあります。先行開発的なパーツが投入されるのはいいんですが、信頼性に難があるんですよね。僕らの頃は「マシントラブル」という言葉がよく聞かれたと思いますが、実際にトラブルは多かった。レースを戦っている身としてはたまったものではありませんが(笑)、それだけ開発も攻めていたんです。 ライダーとして直面する1番の難しさは、セッティングやパーツの選択肢が非常に多い分、いったん迷路に迷いこむと出口が分からなくなることです。プライベーターで活躍し、期待されてファクトリーライダーになったものの、もうひとつ芽が出ず終わってしまうライダーが少なくないのは、これが大きな原因のひとつ。不調に陥った時に、何がなんだか分からなくなってしまうんです。 ですが、そこさえ乗り越えれば最高です(笑)。少なくとも僕は、マシンが自分好みに仕上がっていなければ、攻め切れないタイプでした。たらればですが、僕が今現役でMoto2を戦っているとしても、チャンピオンになれるかどうか……。最初からそういう環境なら、その中でどうにかしたかもしれませんが、ちょっと想像がつきません。