中国「陸・海の力」vs米国「空・ネットの力」―「一帯一路」が意味するもの
中国が掲げる「一帯一路」構想をどのようにとらえるか ── 。建築家で文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋さんは前回、日中の歴史や風土の視点から執筆しました。前回の『「一帯一路」と日本の地政学』の続きとして今回は「陸路」と「海路」の観点から、世界の力学の移り変わりとアメリカに対抗する中国の「力」としての「一帯一路」を考えます。
二つの「怒り」
トランプ政権の暴露本『炎と怒り』が話題になっている。 原題は『Fire and Fury』、トランプ大統領が北朝鮮に対して発した言葉で、もとは聖書だともいう。しかし筆者(若山)はウィリアム・フォークナーの小説『The Sound and the Fury』(邦題『響きと怒り』)を思い起こした。これは一押しの文学作品だ。アメリカ文化の風土的な奥深さが理解できる。 さて逆に、中国の習近平主席はライバルを粛清して求心力を高め、先の共産党大会で「一帯一路」構想を党規約に盛り込んで中国の大義と位置づけた。シルクロードだというから古めかしいが、このインターネット大発展の時代に、電子のネットワークではなく、リアルのネットワークを再活性化しようということか。「一帯」とは「陸路」を示し、「一路」とは「海路」を示す。 建築の基本は風土であるが、風土から出発した建築様式が高度に発達し、風土を越えて拡大する場合があり、その拡大にも「陸路」と「海路」があるのだ。「前回」では日本の「一帯一路」として「北進論・南進論」を論じたが、ここでは世界史的なスコープから、主としてアメリカと中国の風土的な力を、日本の地政学に位置づけてみよう。
「一帯一路」と「ユーラシアの帯」
「一帯一路」が示す領域は、筆者が規定した「ユーラシアの帯」に近い。 16世紀以後にヨーロッパ人が植民地に建てたものは別にしての話であるが、高度化した建築様式(主として宗教)の分布は、ヨーロッパから、北アフリカと中近東を含めた地中海周辺、そしてイラン、インド、中国、朝鮮半島、日本、そこに東南アジアの一部が加わった、細い帯状の地域に集中しているのだ。研究上、これを「ユーラシアの帯」と呼んできた(本サイトの「日米同盟の文化的構図」参照)。 この帯から離れた、シベリアの奥地、サハラ以南のアフリカ、アラビア半島南部、オーストラリア、南北アメリカ大陸、南太平洋諸島などは、人も住み、文化もあったが、16世紀以後の西欧文化の拡大によって、壊滅的な打撃を受けてしまった。 一方、ユーラシアの帯では、各地域にそれぞれ異なる文化圏が形成されながらも、その「交流」によって継続的な発展をつづけてきた。メソポタミアからは鉄器や車輪が、エジプトからは文字や建築が、ギリシャからは哲学や芸術や科学が、中国からは文字や紙や火薬が、インドからは数学や宗教が、アラビアからは数学や化学や天文学が、この帯にのって幅広く伝えられたのだ。文明とは交流であると感じさせる。 地中海は海路であるが、これは主として「陸路の時代」であったといえる。 また「一帯一路」構想は、梅棹忠夫の『文明の生態史観』という考え方も連想させる。梅棹は、ユーラシア地域を西洋と東洋に分けるのではなく、ヨーロッパと日本を海洋に面した第1地域とし、内陸の地域を第2地域として、第2地域は文明の興亡を繰り返しているが、第1地域は第2地域から文明を取り入れて発展を続けたという。つまり「海路の優位」を説いている。 逆に、最近読んだ水野和夫の『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』では、16世紀以来の「海の国」の優位が終焉し、中国の「一帯一路」構想によって再び「陸の国」の優位が始まるという。つまり「陸路の復権」で、これは水野の「資本主義の終わり」という議論とも結びつく。 そう考えれば「一帯一路」構想は、文明の方向を、16世紀以前に戻そうとするかのようだ。先進国、新興国、途上国という概念を、自然風土の絡んだ「領域」に結びつけ、中国は、アメリカや日本との関係から中東や東欧との関係に向かい、新興国、途上国の側に立つという意志を示しているとも思える。