中国「陸・海の力」vs米国「空・ネットの力」―「一帯一路」が意味するもの
交流の「ダイナミズム」と限定の「スタビリティ」
海をわたって新大陸を発見した人々は、三本マストの帆船から幌馬車に乗り換えて、西へ西へと進みつづけた。つまりアメリカは、大陸内においては「陸の力」であった。 そして20世紀初頭、ライト兄弟が飛行機を発明し「空の力」を手に入れる。それは旧世界と大洋によって隔てられた地理上の欠点を克服する力であり、以後、第一次世界大戦でも、第二次世界大戦でも、太平洋戦争でも、朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でも、中東における戦争でも、米軍は一貫して「空の力」で優位に立ち、冷戦に終止符を打ったのもそれを拡大した「宇宙の力」によった。 そしてさらにアメリカは、ベンジャミン・フランクリン、トーマス・エジソン、グラハム・ベル、フォン・ノイマン、ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズといった人物を輩出して、「電気の力」「電波の力」「電子の力」「ネットの力」を手に入れ、リアルの世界のみならず、情報の世界をもリードして、今日に至っている。 一方中国は、ユーラシア大陸の東の一画であるが、その西側とは、ヒマラヤ山脈と、ゴビ砂漠、タクラマカン砂漠によって隔てられ、その東南とは、南シナ海、東シナ海によって隔てられている。さらに中国人は自ら「万里の長城」を築き、その北側を隔てたのだ。中国とはまさに、障壁によって「隔てられた中の国」である。 先に述べた「ユーラシアの帯」は、西と東に磁力の中心がある。 西の中心は地中海で、古来、ヨーロッパ、北アフリカ、中東を結ぶ「交流の海」であったが、東の中心は、この四周を囲まれた「限定の中原」であったのだ。 前者はその交流によって、多様な国家、民族、言語、文化が興亡するダイナミズムの文明を生んだが、後者はその限定によって、比較的静穏な中心構造の文明であった。それが漢字を操る知識人の官僚制に結びついて、日本文化にも影響を及ぼしている。モンゴル人の王朝である元は別として、秦も、漢も、隋も、唐も、明も、清も、その風土的限定を越えることはなかったのだ。 つまりアメリカは、地中海文明がもつ交流のダイナミズム(動力性)の先端であり、中国は、限定によって漢字文明のスタビリティ(安定性)を保ってきた。「一帯一路」は、その中国が、自ら限定を超えて行こうとすることで、そのリスクを引き受けるということだ。だからこそ前回述べたように、軍事的覇権なら失敗、風土的補完なら成功というのが筆者の予測である。 日本列島は、そのアメリカと中国の文化地政学的な交点にある。