中国「陸・海の力」vs米国「空・ネットの力」―「一帯一路」が意味するもの
海の力・陸の力
古代文明が、ナイル、チグリス・ユーフラテス、黄河など、大きな河川に沿って誕生したことはよく知られている。農業の優位もあるが、これは「水の文化」と「土の文化」の交点(農業、漁業、遊牧、知識、情報などの交通と交換)としてとらえるべきではないか。すなわち「川の力」である。 そのあと、入り組んだ半島と島々の都市国家が連合を組んで東地中海を制したギリシャは「海の力」であり、内陸の大国ペルシャは「陸の力」であった。 二つの力の激突は、ギリシャ側の記録により、マラトンの戦いやサラミスの海戦として残っている。ペルシャの大軍が取った陸の戦法は海の風土を越えられなかったのだ。しかしマケドニアのアレクサンドロスは、独創的なファランクス(重装歩兵の陣形)という「陸の力」によってペルシャを破り、ヘレニズムを東に広げた。ローマは道路や橋や水道など土木工事によって版図を広げた「陸の力」である。イスラム帝国は砂漠を制し、モンゴルやトルコは草原を制した、それぞれの風土における「陸の力」であった。 ヴェネツィア、ジェノヴァは「海の力」であるが、ギリシャ同様、東地中海に限られていた。ここまでの歴史は、どちらかといえば「陸の力」が優勢であったといえる。しかしポルトガル、スペインが、「ユーラシアの帯」を突破して大西洋へ出ることによって、「海の力」の時代を迎える。オランダ、イギリスがそれを受け継ぎ、大英帝国の時代がやってくる。英語と背広が世界標準になっているのだから、その影響はまだ続いているといえる。 フランス、ドイツは内陸のどちらかといえば「陸の力」、ロシアはさらに内陸に入る大地の「陸の力」である。アメリカはユーラシアから見れば「海の力」であり、中国は基本的にロシア同様、大地の国で「陸の力」であり、日本は四周を海に囲まれた「海の力」である。しかしアメリカと中国については後段で詳述したい。 そう考えてくると、海の国家は、ギリシャ、オランダ、イギリス、アメリカ、北欧、日本など、議会制民主主義と資本主義に馴染みが深く、陸の国家は、ペルシャ、ローマ、ロシア、ドイツ、中国など、専制(帝政)官僚主義と社会主義に馴染みが深いように思える。もちろん一概にはできない。スペインは対外的には海の力であったが、内政的にはハプスブルグ家、ブルボン家などヨーロッパの内陸的な力の支配を受けていた。 つまり海の力は、基本的に拠点を結ぶ形で拡大するのであり、異文化との交流、交易が基本となるが、陸の力は、基本的に領域を支配する形で拡大するのであり、異文化を中央に組み込む傾向があるのではないか。