国鉄の民営化が地図記号に与えた影響とは?「JRか、それ以外か」で主に分類されるようになった鉄道。「国鉄」と「私鉄」の歴史と現在の区分を解説
◆「普通鉄道」と「軽便鉄道」 日本の地形図はかつて国鉄と私鉄の2分類であったと述べたが、実はこの記号で分類されたのは「昭和30年図式」からだ(厳密には「大正6年図式」の同14年改訂から国鉄・私鉄の分類に変化しているが、実施状況は限定的)。 昭和30年といえば保守合同で自民党が誕生した年だが、私が物心ついた頃にはそのような記号体系となっていたため、どうも昔から続いてきたような錯覚がある。 それ以前は「国鉄と私鉄」のような経営主体ではなく、普通鉄道と軽便鉄道という区分であった。 これはまさに前述のヨーロッパと同様の発想であるが、軽便鉄道の記号は、具体的にはハタザオの白黒が均等ではなく、白い部分が長い。 軽便鉄道は一般的に軌間が狭く小型の車両を用いた鉄道として知られているが、もともと狭軌が主である日本の一般的な鉄道よりさらに狭く、具体的には762ミリなどであった。 厳密に言えば軽便鉄道法による軽便鉄道は一般的な国鉄の軌間1067ミリも含んでいるが、地形図で軽便鉄道の記号を適用するのはこの軌間より狭いものに限っている。 法的に「軽便鉄道」の扱いが消えて私鉄の扱いが地方鉄道法に拠る「地方鉄道」に統一された後も、地形図では一般的な鉄道より軌間の狭い鉄道を「特殊軌道」の記号で表現することになったので、必ずしも法的な用語と一致してはいない。
◆鉄道と軌道の境目 その「特殊軌道」の記号だが、もとは馬車鉄道のために用意されたものである。鉄道と軌道という分類は一般には馴染みが薄いが、現在でも法的には分けられている。 明治5年に開業したのは鉄道で、もともと蒸気機関車が牽引する列車が走るものである。 これに対して「軌道」は路上にレールを敷いて馬が客車を牽く馬車鉄道だった。後にその上に架線を張って路面電車に変身するのだが、記号はそのまま流用された。 大正に入ると、軌道条例(後の軌道法)による電車の線路が増えたのに合わせてスピードも輸送力も向上する。利便性は大いに高まり、補助的交通のはずだった電車も新設軌道(専用軌道)を高速で走るようになった。 特に大都市圏では、従来は蒸気機関車を走らせていた路線もこれに対抗して電化、電車を走らせるようになる。 こうして鉄道と軌道の境目は徐々に不明瞭となり、地形図の記号としても鉄道と軌道の区分が意味をなさなくなってしまった。 戦後になって高度成長期を迎える時代に登場した「昭和30年図式」が国鉄・私鉄という区分に変更された背景には、そのような鉄道・軌道の発達史がある。