安定を捨て挑戦を選んだ元「東大卒Jリーガー」 添田隆司・おこしやす京都AC社長の冒険 一聞百見
京都市をホームタウンとし、関西サッカーリーグ2部(J6相当)からJリーグ入りを目指す「おこしやす京都AC」。令和3年の天皇杯2回戦でサンフレッチェ広島(J1)に5-1と大勝し、サッカーファンを驚かせたこのチームを社長として率いるのは史上2人目の東京大卒Jリーガー、添田隆司さん(31)だ。大手商社への就職という「エリート街道」を自ら蹴り、「安定ではなく、挑戦する生き方をしたかった」と選んだいばらの道。スポーツの価値をさらに広げようと社長という〝ピッチ〟で汗を流し続ける。 【写真】東大サッカー部時代の添田隆司氏 「東大に進学したからこそJリーグの世界を経験できたんだと思います」。平成27年、当時J3だった藤枝MYFC(静岡県藤枝市、現J2)への入団の経緯を聞くと、意外な答えが返ってきた。 日本初のプロサッカーリーグ誕生に国内が沸いた「Jリーグ元年」(5年)に生まれ、小学校入学前からサッカー教室に通った。進んだ中高一貫の進学校では学外のクラブチームに所属。全国大会に出場するレベルの高い環境にもまれ、サッカー漬けの日々を送った。 東大を目指したのは「受験勉強でどうせつらい思いをするなら最難関の大学を」との思いから。入学後はサッカー部に入部し、4年時には主将として活動するなど充実した4年間を過ごした。園児から始めたサッカー人生、充実のままに締めくくるはずだった。 転機が訪れたのは4年生の冬。既に大手商社へ入社が決まり、商社マンとしての新たな生活に胸を躍らせる中、藤枝MYFCから練習参加の誘いを受けた。当時の藤枝の社長が「東大生がレベルの高いサッカー環境だとどれだけ成長するか見てみたい」と、東大サッカー部の主将獲得を希望していたことが大きな理由だ。 複数の偶然が重なり参加が決まった練習で感じたのは想像以上のプロのレベルの高さ。「自分は最下位だな」と思い知らされたが、練習後、クラブ代表から選手兼職員として入団の打診を受けた。理由は「下手だけど下手過ぎなかったから」。決断までに与えられた期限は2週間、最終日まで葛藤した。 大手商社に内定し、明るい未来へのレールは敷かれていたはずだった。藤枝への入団は先が見えない世界へ飛び込むこととなる。重大な決断を前に約20年間の人生を振り返った。よぎったのは進学時のある悩みだった。高校では全国大会出場の実績がある強豪校に、大学でもプロを多く輩出する私立大にそれぞれ進む選択肢があった。