安定を捨て挑戦を選んだ元「東大卒Jリーガー」 添田隆司・おこしやす京都AC社長の冒険 一聞百見
こうして地域社会の新たなコミュニティーを創出することが、クラブの目指す地域社会への役割であり、スポーツが生む新たな価値だと信じているからだ。
きっかけは原点ともいえる藤枝MYFC時代にある。スポンサー訪問や試合の集客のため、数多くの地元企業や児童施設などに足を運んだ。特に、多くの中小企業の経営者の自由な発想や行動力に感銘を受けたことを覚えている。
「すごい価値観を持った人が地域にもいる。こんな人たちが集まればすごいことになる」
地域社会が持つ可能性に期待が膨らんだ。学童保育で出会った子供たちの笑顔やチームを応援する高齢者など、サッカークラブという存在が生む人のつながりの幅の大きさにも気づかされた。そうした経験から生まれた「サッカー経済圏」という概念。これこそが地域スポーツの持つ価値であり、その価値を広く浸透させるべくいそしむ。
社長としてクラブ運営に携わり6年。結果の出ない時期もあり、苦しんだこともあったが、「最高の恩返しができた」と振り返る経験もできた。令和3年の天皇杯、当時5部相当だったチームは、J1サンフレッチェ広島を5-1で下し、史上最大ともいわれる「ジャイアントキリング(大番狂わせ)」を起こした。喜んでくれたスポンサー企業や地域の人々。クラブの地域への浸透を身をもって感じる瞬間に「これまでやってきたことが間違いではなかった」と胸をなでおろした。
東大を経て、たどりついた経営者の道。「スポーツが単なる娯楽ではなく、人の暮らしが豊かになる『心のインフラ』として不可欠なものにしたい」。身をもって体験したスポーツが持つ可能性を信じ、その価値をさらに高めていく。
そえだ・たかし 平成5年、東京都生まれ。東京大経済学部卒。東大では4年時にサッカー部主将としてチームを率いた。在学中、大手商社に内定するも27年、練習参加を機に藤枝MYFCへ入団。3季所属し、J通算計10試合出場した。29年、おこしやす京都ACの前身、アミティエSC京都に移籍し同年、現役引退。翌30年、おこしやす京都ACの社長に就任した。