安定を捨て挑戦を選んだ元「東大卒Jリーガー」 添田隆司・おこしやす京都AC社長の冒険 一聞百見
「サッカーがうまい人だけの中でやることへの恐怖感があった」
サッカーの実力だけでチャレンジすることを避けてきた。これまで通り安定した心地いい環境で生きるのか、それとも挑戦するのか。「前に向かって挑戦できるような人でありたい」との思いが突き動かした。
藤枝に入団を伝えるメールを最終回答期限の約5分前に送った。「人生最大の決断だった。私の人生の方向性はそこで決まった」。東大に進学していなければ開けなかったかもしれないサッカー選手への道。いよいよJリーガーとしての道が開けた。
■「東大卒」に葛藤 見いだした光
27年、当時J3の藤枝MYFCに入団した添田さんだが、選手生活は順風満帆とはいえなかった。
「サッカーの世界で一番下手な状態で入ることが、どれだけつらいか身にしみて分かっていました」。入団前の練習参加から分かっていたレベルの差。入団後も「一番ヘボだった」と笑うが、独り歩きする東大卒の肩書と自らの実力の差に葛藤があった。
「東大卒Jリーガー」は周囲の注目を集め、地元のテレビ局が密着し、入団からデビューまでを追いかけた特集番組も作られた。しかし、ピッチで結果を出しているわけではない。「今思うとプロの考え方ではないですが、『できる限り放っておいてほしい』と思っていました」
選手兼クラブ職員として午前は練習、午後は9時まで仕事をする生活を送り、週末は試合準備のため看板運びをすることも。シーズン1年目は8試合に出場したが、翌年の出場試合はゼロ。3年目の途中でチームを去り、アミティエSC京都(現・おこしやす京都AC)に移籍する。
そんな生活の中でも、未来を切り開く手がかりがあった。地域貢献活動の一環で放課後の学童保育を訪れると、子供たちは笑顔で迎えてくれた。一緒におやつを食べたり、サッカーをしたり。どうやったらうまくなるか質問攻めにもあった。大活躍していたわけではないが、即席のサイン会を開くと長蛇の列ができた。「僕みたいな選手でも喜んでくれる」。Jリーガーという立場だからこそできた経験。自らが「ローカルヒーロー」になれた瞬間だった。