山手線にも「起点」と「終点」がある 正しい“環状線”はどこに?
大抵の路線は「起点」と「終点」があり、どこからどこを結ぶのか分かるようになっている。一方で、中にはそんな感覚を抱かせない路線もある。代表例がJR東日本の山手線だ。 【画像】ぽつんと「田端駅」の改札(9枚) 山手線は、東京の中心部をぐるぐると回っている環状線だ。1日に同じようなところを何度も回り続けている路線に、起点や終点なんてものはあるのだろうか。 同様の環状線は、大阪にもある。JR西日本の大阪環状線だ。大阪駅や天王寺駅などを通り、大阪市内をぐるぐると回っている。この路線は複雑で、ぐるぐる回り続ける列車もあれば、途中だけこの路線を走る列車もある。 これらのJR路線には、実はきっちりと決まった起点と終点がある。では、どの駅なのか。
山手線はそもそも、環状線になるつもりがなかった
山手線はラッシュ時におよそ3分おき、平日昼間でも5分おきに運行している。コロナ前はもっと本数が多かった。そんな山手線はもともと「都市圏内輸送のための路線ではなかった」というと、意外に思う人もいるかもしれない。 山手線の起点は、品川駅である。当時は「品川線」と呼ばれ、品川から赤羽に向かう路線だった。この路線を通じて、内陸部の物資を東京の中心部や、横浜港に送り出すために設けられた。 下町エリアは人口密集地帯なので、貨物を走らせるために人の少ない場所に線路を敷いたのが、いまの山手線の“始まり”となっている。田端方面に向かうのではなく、当初は赤羽駅へと向かい、同駅で北関東・東北方面の路線と接続した。 こうした背景があったので、当初の山手線は貨物輸送がメインで旅客はサブ、しかもいまのような環状になっていなかったのだ。
現在の山手線が誕生
その後、池袋駅が誕生し、田端駅へと向かう支線となった。田端駅を介して常磐方面との物資輸送も可能になった。この路線は「豊島線」という。 そして品川駅から新宿駅、池袋駅、上野駅を結んで運転する列車が旅客ではメインとなり、池袋駅から赤羽駅に向かう路線は支線となった。こうして現在の山手線の原型が生まれる。 現在の新橋駅の場所に烏森駅が誕生し、烏森駅から品川駅、新宿駅、上野駅までが電化したのは1909年12月のこと。このあたりから旅客鉄道としての存在感を見せていく。 1914年12月に東京駅が開業。中央線と接続し「の」の字運転になる。1925年3月には貨物線がようやく分離し、同年11月には神田駅と上野駅が結ばれ、ようやく環状運転を開始した。 貨物のための路線は、東京圏の拡大により旅客輸送に重点が置かれるようになり、その後非常に混雑する路線になっていく。こうして環状線としての山手線が誕生した。 だが、〇〇区間は△△路線、という形で決まっていた。例えば、東京駅から品川駅までは東海道本線であり、東京駅から田端駅までは東北本線である。山手線は、そこに乗り入れていることになっている。路線としての山手線の終点は、田端駅である。田端駅まで来た時点で別の路線と接続し、乗り入れるという形態をとったのだ。 そんなわけで、個別の路線としての山手線は、品川駅を起点とし、田端駅を終点とする。一方、線路はそれぞれに敷かれている。そうでないと多くの本数をさばけないからだ。