「痛みの少ない注射針」の意外な開発裏話、テルモ開発者が「当たり前」を超重視するワケ
ぶれないための「2つ」の視点とは
──製品開発では困難を避けて通れないと思いますが、ぶれないために重要なことは何だとお考えでしょうか。 大谷内氏:ぶれないことは簡単ではありません。強い気持ちで維持しないと、コンセプトはぶれてしまいます。 たとえば、開発で難しい壁に直面した場合、ここまで開発してきた技術はほかの分野で使える...と方向転換してしまえば、コンセプトは実現出来ません。場合によっては、上長でさえ、コンセプトがぶれたかどうか認識できないこともあります。結局これは、開発者個人の問題です。そこで、「患者さんの辛さ」と、辛さがない「健康な生活の大切さ」を、開発者自身が理解することが重要だと考えています。 ナノパスシリーズの場合、開発の中で1型糖尿病の子どもに話を聞きました。その際印象に残ったのは、「病気で朝から気分がすぐれない」「ご飯は食べたいけれどその前に痛い注射をしないといけない」と朝から暗い表情をしていることでした。彼らはそうした闘病生活を一生送らなければならないのです。これを理解したとき彼らのために「絶対に何とかしないといけない」という思いを抱きました。
患者に寄り添う「ある視点」とは
──「健康な生活の大切さ」を理解するというのは、テルモの開発者であれば誰でも意識して取り組んでいることなのでしょうか。 大谷内氏:そういう部分はあると思います。我々としては、あくまで医療機器というのは「手段」だと思っています。 患者さんにとっては健康な生活を取り戻したい、維持したい、そのための手段として我々の医療機器を使ってもらう。ですから、我々がぶれてしまうと、患者さんの目的が実現できないということで、そこは意識しながら取り組んでいく必要があると思います。 そして、健康な生活の大切さ、病気を抱えて生活することの辛さを理解するには、患者さんから話を聞くだけでは不十分で、「患者さんの生活がどういうものか」を想像することが必要になります。 たとえば、1型糖尿病の学生さんは、授業で気分がすぐれず保健室に行く回数が多くなります。糖尿病治療の副作用による低血糖で授業の途中で意識を失うことがあるかもしれません。そのため、授業中に「飴」を舐めてよいという配慮を学校側がしてくれるケースもありますが、ときに同級生から「奇異」の目で見られるかもしれない。 このように、患者さんの生活を想像し、それがどういうことなのか、患者さんの身になって考えることが必要なのです。 ──健康な人から見ると健康は当たり前ですが、その当たり前が何なのかを考えるのは難しい。患者さんの身になって考えることの重要性が分かりました。 大谷内氏:はい、患者さんにとって、より「当たり前」のことができる生活にするという視点は非常に大事だと考えています。 さきほどの例で言うと、インスリン注射をするのも低血糖への対策として飴をなめるのも、1型糖尿病の患者さんにとっては、持病への対処という意味では同じです。この際、教室で糖尿病のために飴を舐めるのは、熱中症予防のために水筒の水を飲むとことと比較して、飲食という観点から一緒です。 しかし、医療機器から薬を投薬するという行為は、両者と比べてだいぶ特殊です。病院で注射をするのは当たり前でも、教室で注射する人はいないですから。ですから、こうした「特殊」を感じずに、患者さんにとって「当たり前」になることが最善だと考えています。 ──テルモの開発者の中でも、大谷内さんは秀でた成果を上げていらっしゃいますが、ご自身ではその点をどう分析されていますか。 大谷内氏:あまり難しく考えたことはないのですが、テルモに入社した理由というのも、多少は関係があると思います。テルモ以外の製造業も選択肢にある中で、医療機器の開発を志望したのは、自分が作った製品がダイレクトに患者さんに届いて使ってもらえる、こんな喜ばしいことはないと思ったというのが原点になっているのです。 大学時代はプラントエンジニアのような仕事も考えたことがありました。しかし、プラントエンジニアは大きなプロジェクトの中で、一開発者が携われる領域は限られています。一方、医療機器の世界は、自分で全部設計からお客さまに届けるところまで携わることができる。そこに醍醐味を感じました。 ナノパスシリーズの開発も当初は2人の開発メンバーからスタートし、その後4人態勢になりました。最終的には生産などを含めて相当のチームになりましたが、それだけ少人数であればブレようがないですよね。そういう環境的な要素もあるのかなと思います。