書き手の意図を読み取り、読者の反応を推し量る。「校正能力」を持てば社会はもっと平和になる!
校正とは「文章の誤りを正すこと」。そう書くと、誤字脱字のチェックや表現の間違いを正すことと思われるだろうか。だが、表面的な指摘は校正の仕事のごく一部に過ぎない。『ことばの番人』は校正が人と人とのコミュニケーションや、世界の認知に関わる壮大な問題だと気づかせてくれる一冊だ。著者の髙橋秀実(ひでみね)氏に聞いた。 【書影】『ことばの番人』 * * * ――どうして「校正」をテーマにしようと思ったのですか? 髙橋 今まで私たちが生きてきた活字文化には必ず「校正」が入っていました。当たり前すぎて意識していなかったかもしれませんが、新聞や雑誌、世の中に出ている文章は基本的に校正されていたんです。 けれど、SNSの日本語は校正を通していない印象です。誤字脱字レベルにとどまらず、事実関係についても「裏を取る」といった基本的な作業をせずに、炎上狙いやビューを稼ぐために悪口のような投稿があふれていますよね。 そうした校正のないSNS文化が蔓延(まんえん)する中で、日本語が急速に劣化しているのではないか、と思えてきました。 「いにしえより校正者の方々がいて、校正をしてきてくれたおかげで今の日本語があります」ということを思い出してもらうために書きました。 ――SNSでは誰かの投稿を読んで、反射的に投稿することも多いです。 髙橋 校正には「間違いを正す」という意味がありますが、SNSのように人の間違いをあげつらうわけではありません。著者に本当にこれでよろしいですか?と再考を促す。自分自身でも本当にこれでよいのかと読み返すべきだと思いますね。 私の場合、原稿はまず妻の栄美が校正してくれるんです。20代の頃はお互いの原稿を校正し合っていたんですが、私には校正はできないとわかりました。妻の原稿に「書き出しはこうしたほうがよいんじゃないか。展開も弱いし、オチも変えたほうがよい」などと赤字を入れてしまうんです。「いいかげんにしてくれ」と激怒されました。 ――校正というよりはダメ出しだった? 髙橋 はい。私がやっていたのは校正ではなく、書き直しの要求でした。一方、彼女は誤字脱字の指摘はもちろん、表現のわかりにくさなども的確にアドバイスしてくれました。それが校正者の仕事です。要するに相手を潰さないんです。 「おそらく書き手はこういうことを言いたいのだろう」という意図を読み取って、一般読者が読んだらどう受け取るかを考える。両方を推し量ることができるのが校正者なんです。