書き手の意図を読み取り、読者の反応を推し量る。「校正能力」を持てば社会はもっと平和になる!
――「校正」というと、間違い探しをする人、と思われたりします。でも実際は深いところまで文章を読んだ上で、より良い表現になるように考えてくれる存在なんですね。 髙橋 間違い探しとは違いますよね。私が今、こうして書く仕事をしていられるのは、20代の頃から妻が校正をしてきてくれたおかげなんです。プロポーズの言葉も校正されましたから......。 ――プロポーズのときに? 髙橋 20代の頃、ちょうど私が住んでいたアパートの建て替えが決まって、同じ時期に彼女も引っ越すことになったので、一緒に暮らすかどうかを話し合っていたんです。その流れで「じゃあ、入籍しようよ」と言ったのですが、激高されました。「じゃあ」ってどういうことだ、というわけです。 ――確かに。ついでの感じがしてしまうかもしれません。 髙橋 ですよね。「じゃあ」はトルツメで「入籍しようよ」が正しい(笑)。妻の校正はプロポーズの言葉から始まっているので、生き方そのものが、常に彼女の校正を受けている感じです。 校正者の方々に感謝するのは、ベースに「自分は校正されて一人前。校正されないととんでもない方向に行く」という恐怖があるからでしょう。 ――校正者へのリスペクトという点では、近代文学者たちから「校正の神様」と呼ばれた、神代種亮の逸話は驚きでした。 髙橋 芥川龍之介、与謝野晶子、永井荷風といった錚々(そうそう)たる作家が、彼に校正されていることを高らかに公表していたという、すごい人です。 近代文学の作家たちはそれまで漢籍(漢文で書かれた書物)で素養を築いていたので、突然「言文一致」だ、話し言葉のように書け、と言われても、どうすればよいのかわからず、みな不安だったと思うんですよ。そのときに校正をしてくれる神代さんのような存在はありがたかったでしょう。 とはいえ神代さんが編集した『校正往来』という機関誌を読むと、本人も相当、間違えています。誤植がけっこう多くて、人の間違いを直しているのに自分も間違えているんですね。 間違いを直して間違える。「灯台下暗し」というか、大事なところで間違えたりするんです。『校正往来』も校正について書いているのに、「校」という字が不統一です。 ――「校正の神様」を校正する人はいなかったんですね。本では法律の誤植についても取り上げています。これも驚きでした。