養老孟司 かつて存在した<大学に入るとバカになる>との常識が消えたワケ。「医者が患者でなく検査結果だけを見るようになったのも当然で…」
◆教育とは 学問とは情報の取り扱いである。つまり生きたものを停め、停めたものを整理する作業である。そこに大学に行くと馬鹿になるという言葉の真意があろう。それなら経済学が役に立たなくて当然である。経済学説は停止しているが、世間は動いているからである。 医者は患者の検査結果しか見ない。患者は生きて動いているから、面倒くさいのであろう。いまどきの若い医師は診察が終わるまで、パソコンの画面と紙しか見ていない。それが患者さんの文句である。 それは当然で、大学では「医学」を教えるからである。経済学と同じで、そこには「生きた人間」、つまりたえず変化する、奇妙で猥雑(わいざつ)なもの、そんなものが入り込む余地はない。 ほとんどの医師は、論文を書こうとする。学位を貰うためには、それが必要だからである。さらにそうした論文を書くのがもっとも得意な人が、大学では偉い医師になる。しかし論文をいくら集めても生きた人にはならない。そんなことはあたりまえであろう。論文はそのまま停止しているが、患者は生きて動いているからである。 生きた人間を扱っている人を、そろそろ昼間に提灯でも灯して探し回らなくてはいけない時代になったらしい。教育とはまさに生きて動いていく人間を扱うことだからである。子ども以上に変化の激しい人間はない。情報化社会の人がなぜ教育が不得意か、以上でおわかりいただけると思うのだが。 ※本稿は、『わからないので面白い-僕はこんなふうに考えてきた』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
養老孟司