養老孟司 かつて存在した<大学に入るとバカになる>との常識が消えたワケ。「医者が患者でなく検査結果だけを見るようになったのも当然で…」
◆一期一会 なぜ身につかないか、それははっきりしている。情報化時代だからであろう。情報とは停まったもので、生きて動いている存在ではない。 テレビのニュースは、ビデオにとっておけば、100年経っても見ることができる。あれは一見動いているように思えるが、その意味では停止している。それを情報というのである。あらゆる発言は、テープにとれば停まっている。いくらでも繰り返し聞くことができるではないか。 しかしニュースを語るアナウンサーは、100年後には死んでこの世にいない。発言者は自分の発言をそのとおり繰り返すことはできない。かならず微妙に違ってしまう。 生きることとは、再び取り返しがつかない時間を通過することである。通過していく主体は、二度と同一の状態をとることはない。だからすべては一期一会 (いちごいちえ)なのである。
◆諸行無常 教育がそれを忘れて、もはや長いこと経つらしい。現代は情報化社会であり、おおかたの人々はそれでよしとしている。 それでも結構だが、そのときに忘れてならないことは、情報は固定しているが、人は生きて動きつづけているということであろう。情報が変化していくのではない。われわれが変化していくのである。それを諸行無常という。 鐘は剛体だから、いつ聞いても同じ振動数で鳴る。つまり同じ高さの音がする。それが違って聞こえるのは、人の気持ちが微妙に異なってくるからである。それを忘れた世界では、「生きがい」などという妙なものが話題になる。人が変わっていくそのことが、微妙な味わいを持つ。それが諸行無常の響きであろう。 俺は俺だ。多くの人がそう思って生きているらしい。そんなもの、意識がそう主張しているだけである。すべては移り変わるが、それを引き起こしているのは自分自身である。それを忘れて、「生きること」が成り立つはずがない。人間は情報とは違う。停止しているわけではないのである。