養老孟司 かつて存在した<大学に入るとバカになる>との常識が消えたワケ。「医者が患者でなく検査結果だけを見るようになったのも当然で…」
「『ああすれば、こうなる』ってすぐ答えがわかるようなことは面白くないでしょ。『わからない』からこそ、自分で考える。……それが面白いんだよ」。わからないということに耐えられず、すぐに正解を求めてしまう現代の風潮についてこう述べるのは、解剖学者・養老孟司先生です。今回は、1996年から2007年に『中央公論』に断続的に連載した時評エッセイから22篇を厳選した『わからないので面白い-僕はこんなふうに考えてきた』より、2001年1月のエッセイをお届けします。 【写真】養老孟司先生 * * * * * * * ◆大学に入ると馬鹿になるという「常識」 私が大学に入ろうとしていた頃、つまりいまから半世紀近く以前、世間には大学に入ると馬鹿になるという「常識」があった。そういう記憶が残っている。 あんたは大学に行くというが、大学に行くと馬鹿になるよ。こうしたことをいうのは、世間で身体を使って働いている人たちだった。そうした発言の真の意味は、いまではまったくわからなくなってしまったと思う。 座って本を読んでいると、生きた世間で働くのが下手になってしまう。これはそういう意味だったはずである。その人たちの労働とは比較にならないが、こうした記憶があって、私はいまでも傘張りをする。身体を多少でも動かすのである。 いま世間では、教育をどうするかという議論が盛んである。そのなかに、大学に行くと馬鹿になるというのはないであろう。高校全入どころか、大学全入になりそうな勢いである。座って机の前で学べることもたしかにある。 しかし応用が利くことは「身についた」ことでしかありえない。教養教育がダメになったのも「身につく」ことがないからであろう。教養はまさに身につくもので、座って勉強しても教養にはならない。ただ勉強家になるだけである。それを昔は「畳が腐るほど勉強する」といった。それでは運動制御モデルは脳のなかにできてこない。