日本女子テニス界のエース候補、石井さやかと齋藤咲良が繰り広げた激闘。「目指すのは富士山ではなくエベレスト」
世界で活躍したトップ選手たちが手にしてきた全日本選手権のタイトルをかけて、日本女子テニス界のエース候補、石井さやかと齋藤咲良が激闘を繰り広げた。元ベイスターズの名球会選手である石井琢朗を父にもち、IMGアカデミーで育った19歳の石井と、群馬にある名門アカデミー出身で技を磨いた18歳の齋藤。早くから世界を視野に捉え、対照的な足跡を描いてきた2人の激闘とともに、その絆とライバル関係を紐解く。 (文=内田暁、トップ写真=REX/アフロ、本文写真=SportsPressJP/アフロ)
伝統と歴史のタイトルをかけた次期エース候補の決戦
勝者の証しである“秩父宮妃記念盾”を掲げる19歳の石井さやかの横で、18歳の齋藤咲良は、小ぶりのトロフィーを手に、ややぎこちなく微笑んでいた。 10月上旬に、東京・有明コロシアムで行われた第99回全日本テニス選手権では、石井と齋藤の10代決勝戦が実現。それは1983年の雉子牟田明子対岡本久美子以来、41年ぶりのことだった。 “全日本優勝者”の肩書きは、決して彼女たちのゴールではない。ただ、伊達公子や杉山愛、奈良くるみや土居美咲ら世界で活躍した日本トップ選手たちが手にしてきた、一つの通過儀礼的タイトルではある。他ではなかなか感得できない、伝統と歴史の“重み”を感じる場だと、参戦選手は声を揃える。特に齋藤は、初出場ながら第1シードという、皆から追われる立場でもあった。 決勝を終え、その重荷を下ろした齋藤は、オンコートインタビューで言った。 「さやかちゃんとは、いつも苦しい試合になるので、本当はやりたくないけれど、こんな素晴らしい舞台で戦えて嬉しかった。おめでとう」 その言葉を受けた石井も「咲良ちゃんとはジュニアの頃からずっと一緒にやってきたので、この舞台で試合できて嬉しい」と返した。生まれ年が一年違いの2人は、ジュニア時代にも4度対戦し、2勝2敗で星を分けてきたライバルである。
「父は野球選手だった」と言われるようにしたい
日本テニス界で早くから名の知られた2人だが、石井の場合は本人以上に、「石井琢朗の娘」の文脈で語られることが多かっただろう。石井琢朗は、横浜ベイスターズのリードオフマンとして活躍し、通算2000本安打も達成した名球会選手。そのDNAを受け継ぐ者として、娘さやかは、若くして関係者の注目を集めてきた。 父の琢朗氏は、そんな周囲の好奇の視線から逃れることは、あえてしなかったとも言う。 「さやかの周りには、いろんな人が集まってくるかもしれない。でもそれは、お父さんの名前があるからだよ」と、愛娘には早々に伝えてきたそうだ。 一方の娘もある時期から、父の名声を実力で超えることを、一つのモチベーションとしてきた。石井が初めて“日本一”のタイトルを手にしたのは、2019年の全国選抜ジュニア選手権。その後、国際大会でも結果を残すようになった石井に、父は「目指すのは、富士山ではなくエベレスト。だったら拠点は、日本ではなく海外が良い」と伝えたともいう。 果たして石井は16歳の時、アメリカ・フロリダ州のIMGアカデミーへと巣立つ。「早く、親元を離れねぇかなーと思っていた」と愛情を憎まれ口で包む父の思いは、娘に伝わっていたのだろう。その後の石井はグランドスラムジュニアの常連にもなり、ジュニア世界ランキング5位に到達。 「『石井琢朗の娘がテニスをやっている』ではなく、『石井さやかの父親は野球選手だった』と言われるようにしたい」 石井がそう宣言したのは、昨年春にプロ転向した時だった。