日本女子テニス界のエース候補、石井さやかと齋藤咲良が繰り広げた激闘。「目指すのは富士山ではなくエベレスト」
早熟の天才を送り出した名門アカデミーで磨いた洗練の足取り
石井が海外に足場を移した一方で、齋藤が今も拠点とするのは、森田あゆみらトッププロを輩出している群馬県のMAT Tennis Academy。齋藤にとっては地元のテニスクラブではあるが、早くから世界を視野に捉え海の向こうを志向したのは、石井との共通点だ。11歳で富士薬品による支援プログラムメンバーに選ばれ、数多くの海外遠征を経験。16歳の時に齋藤は、「富士薬品さんのサポートがなかったら、今頃は高校に通ってインターハイを目指していたと思う」と、その支援に感謝していた。 2020年には、世界を覆った新型コロナウイルス感染拡大のため、海外はおろか実戦の機会も多く奪われる。それでも齋藤は、可能な限り国際大会に出場した。 齋藤を12歳から見ている松田隼十コーチは、MAT Tennis Academy創業者の息子。森田あゆみと同世代で、子どもの頃は一緒にレッスンを受けた仲だった。その後、森田が早熟の才能を発揮した時、松田の父は、「自分の手には余る逸材。経験豊富なコーチに見てもらうべき」と、森田をより大きな器へと送り出した。松田コーチは、そんな父を尊敬すると同時に、「自分はその先を目指す。育てた選手と共に世界で戦いたい」との思いを強くしたという。齋藤が、ジュニア世界ランキング2位へと駆け上がり、なおかつ結果に固執せず一般の大会にも出ていく洗練の足取りは、コーチ家業二代に及ぶ悲願と歴史の集積だ。
ハイレベルな激闘が示した“切磋琢磨”「一緒に世界で戦っている」
ジュニア時代の実績は似ているものの、そこに至るまでに歩んだ足跡は対照的ともいえる石井と齋藤。そんな2人による全日本選手権決勝戦は、ワールドクラスと呼べる激闘となった。 理想の立ち上がりを見せたのは、石井。175cmの長身から、ボールの芯を打ち抜き叩き込む石井の破壊力に、齋藤は劣勢にまわった。だが第2セット以降、齋藤の機動力と精度の高さが、石井を完全に捉える。ベースラインから下がらず、左右にクリーンに打ち分ける齋藤の技術と精神の安定感は、既にツアーレベル。第2セットを奪った齋藤が、そのままファイナルセットも優勢に進め、このままゴールラインまで走り切るかに見えた。 だがここから、最後のターニングポイントが訪れる。後がなくなり、むしろ吹っ切れた石井の強打が、再びことごとくコーナーに刺さり始めた。当たると手のつけられない石井が、怒とうの4ゲーム連取。ラストパートで追い抜いた、僅差の逆転勝利だった。 さらにこの2週間後、2人はWTAツアー500の、東レパンパシフィックオープン初戦でも相対する。全日本決勝のような熱戦が期待されたが、この時は石井が6-1、6-1で圧倒。ただ実際の試合内容は、スコアほどの差ではない。いずれのセットでも、齋藤に幾度もブレークのチャンスはあった。もし、その幾つかを齋藤がモノにしていれば、違う展開になっていた可能性もあっただろう。 「さやかちゃんは一つ年上ということもあり、試合の時はいつもチャレンジャーの気持ちで向かっている」 石井をそう評する齋藤は、「オンコートではライバルだけれど、でもコートを離れたら恋愛話もしたりと、仲が良いです」と、照れたように笑って続けた。他方の石井にとって、齋藤は「ライバルというより、一緒に世界で戦っている仲間」との思いが強いという。 「切磋琢磨」は使い古された言い回しではあるが、長く頻繁に使われているのは、普遍的な真理を言い表しているからでもあるだろう。時には肩を並べて並走し、時に真っ向から相対しながら、2人は自分たちが生む上昇気流に飛び乗る。目指すは同じく、富士山のはるか先……エベレストの頂点だ。 <了>
文=内田暁