「本田圭佑、長友佑都たちに置いていかれたなって…」細貝萌(38歳)が引退後に初めて明かすザッケローニ監督との会話「逃げかけていた自分がいた」
「悩んでいるように映る」と言われて…
そのザックのコメントを伝えると、細貝も「初めて話すかもしれない」エピソードを打ち明けてくれた。 2013年11月、オランダ代表、ベルギー代表と戦った欧州遠征の際、指揮官に呼ばれて矢野大輔通訳を交えて直接話す機会があったという。 「ザックさんから“以前はもっとパワフルだったのに、今は悩んでいるように私の目には映る”と言われて、そのときはショックを覚えました。そういう感覚自体、僕にはなかったので、そんなふうに受け取られてしまっているんだ、と。 ヘルタでの1年目は調子が良かったし、もっと使ってほしいという気持ちがあったのは正直なところ。また出られなかったとなって『給料をもらっているチームがベースにあったうえで日本代表がある』みたいなことをコメントしたりして、ずっと代表と向き合っていたはずが、いつしか逃げかけていた自分がいたんです。だからブラジルワールドカップのメンバーから外されたときも自分のなかではサプライズでも何でもなかった。以前のようじゃないから外した、ということだったと思うんです。これは言っておきたいんですけど、僕はザックさんに感謝しかありません。だってあれだけずっと呼んでくれて、素晴らしい経験をさせてくれた監督ですから。ワールドカップに行けなかったのは、そこはもう完全に自分の実力不足だと思っています」 逃げかけていた――。 そうでもしなければ自分の気持ちが保てなかったに違いない。自分の弱さを素直に認めた彼は、それ以降逃げることなどなかった。ヘルタで飼い殺し状態にされようが、病気になろうが、群馬に戻ってからも試練が訪れようが。
「置いていかれたな」という思い
自分との闘いに負けなかったのは、やはり家族の支えがあったからこそ。ドイツにもトルコにもタイにも一緒についてきてくれた妻には感謝しかないという。 「僕がサッカーのために犠牲にしてきたものよりも、仕事の面を含めて彼女が犠牲にしてきたもののほうがはるかに多い。もう感謝しかないです。サッカーのことだけに専念できるよう、いつもサポートをしてくれましたから。 選手としての人生を振り返ってみると、同じ年の(本田)圭佑、(長友)佑都、岡ちゃん(岡崎慎司)たちに置いていかれたなっていう思いはあります。U―15からそれぞれの世代で日本代表に呼ばれてきてA代表では30試合だけで終わってしまった、と。でもその一方で技術もない、体も大きくない、スピードもない、パワーもない自分がよく20年間もプロとしてやって、海外でプレーして、代表で30試合もよく出たなって両極端な思いがあるんです。家族、そして応援してくれる多くの人に支えられたからこそここまでやってこれた。幸せな現役生活だったなって心から言えます」 当たりに負けず、闘い、食らいつく。たぎるほどに彼を突き動かしていく、サッカーに対する果てしない情熱。デュエルは細貝萌のサッカー人生そのものであった。 <第1回から続く>
(「サムライブルーの原材料」二宮寿朗 = 文)
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