アルファ・ロメオ・スパイダーの「赤裸々な」真実|『Octane』UKスタッフの愛車日記
『Octane』UKスタッフによる愛車レポート。今回は、1969年アルファ・ロメオ・スパイダーに乗る写真家のサム・チックが、愛車の“剥き出し”状態を写真に収めた話をお届けする。 【画像】写真家の視点から見たアルファロメオのフォルムとラインの美しさ(写真3点) ーーーーー 祖父のレグは機械工で、金属加工も行っていた。戦時中はバーミンガム州のキャッスル・ブロムウィッチにあるスピットファイアの生産ラインで働いたことで知られており、少年時代の私は、彼の書斎にあったスピットファイアの模型コレクションを眺めるのが好きだった。それらは、プラスチック、バルサ、高度に研磨された鉄製のものなど、サイズも素材もさまざまだった。 何年も後のこと、ロンドンのサイエンス・ミュージアム(科学博物館)を訪れたとき、実物大のスピットファイアが巨大な壁に展示されていた。それは解体され、塗装も剥がされていて、私は深い感動を覚えた。研磨の跡やつなぎ目の仕上げ跡がすべて明らかとなり、レグの手もその翼の形成に一役買っていたのだろうか、と思いを馳せずにはいられなかった。 その延長線上で、金属が剥き出しになった状態のヒストリックカーは、私にとっては特別な魅力を放つものだ。写真家としても、このような未加工の状態でライトアップされたシェルには、息をのむような美しさを感じる。そして、それを撮影する仕事はいつもエキサイティングだ。 しかも、それが自分の車であればなおさらだ。そんなわけで、ターナー・クラシックから電話があり、私のアルファの塗装が剥がされたと聞いて私はすぐ、とても個人的な写真撮影の予定日をダイアリーに書き込んだ。彼らは親切にも、作業進行中の他の車両を移動させ、私が撮影できるスペースを提供してくれた。営業終了後にワークショップに入れてもらったのだが、剥き出しの状態を見て少々ショックを受けながらも、私は後悔しているわけではなかった。 突如現れた長年の磨耗、損傷、不完全な修理の痕跡などは、隠しきれない事実だ。この車は買ったときから「生きている」と思っていたし、私が疑っていたり恐れていたことの多くは、明らかに真実であり事実だった。 過去に行われた修理の数々が貼り付けられてジグソーパズルのようになり、リアのホイールアーチの大部分を覆っていた。有名なボートテール型のトランクリッドのトレーリングリップ部は、いつの時点かは不明だが明らかに損傷しており、その修理の様は散々な様子だった。またよくあることだが、三分割された両側のシルは腐食していた。金属部と溶接部で失敗していなかった部分は、詰め物とやすりで滑らかにされていた。前任のレストアラーの一人の仕上げの技術は、完璧だったようだ。 剥き出しの状態で出会った衝撃から落ち着きを取り戻して冷静に見直すと、この車はもはやそういった“問題の集合体”ではなくなっていた。ヘップワースやブランクーシ、ムーアらが考案したオブジェのように、著名なバッティスタ・ピニンファリーナによる、誰もが欲しがる純粋な彫刻へと変貌したのだ。修復の過程におけるこの稀有な瞬間の本質が、そこにあるのかもしれない。それは、元々の芸術的なビジョンを明らかにするものだ。 ピニンファリーナが鉛筆で描いたフォルムとラインは、紙の上でゆるやかに、重みや強さ、方向を変える。クレイモデルは、覆われ、切られ、組み上げられ、アルファの側面に沿って見事なシェル状の形が彫り込まれるように削られていた。近づいてみると、テクスチャーのある表面が見えてきた。光を和らげ、拡散させ、屈折させることで、温かみのある生きているような表面の艶が形成されている。 これらのラインは、AIツールのMidjourneyに入力して生成されたものではない(そう、私が目撃した現代のカーデザインには、そういったものが実在する)。研究室の3Dプリンターで作られたものでもない。私の目の前にあるものは、人間の想像力の中で夢見られたものであり、芸術家によって描かれ、職人によって金属で形成されたのだ。写真家としては至極の喜びである。祖父のレグもきっと賛同してくれるに違いない 文:Sam Chick
Octane Japan 編集部