クラブ消滅の危機→再び日本最高峰の舞台へ。帰ってきた“ミスター・デウソン”原田浩平の本音|フットサル
「心配することしかできなかった」退団後の混乱
──そこから10年間“神戸の顔”としてプレーしていましたが、2017-2018シーズンに大分に移籍。この決断には少し驚きました。 その頃から少し経営状態が危ういという話は聞いていたんですが、運営元が急に変わって、それまでプロ契約のような形でプレーさせてもらっていたものが「来年以降は難しい」と言われてしまって……。あまりにも突然の話だったので、ちょっと落ち込みました。 加えて自分も33歳のベテランになって上の世代もどんどんいなくなり、周りも僕には何もいってこない状態が数年続いていて、少しマンネリ化している感覚もありました。そこに契約条件の変更も重なったので、もう引退しようかもと考えていたのですが、大分から声をかけていただき、「いい気分転換にもなるし、もう少し続けよう!」と移籍を決めました。 ──その後、神戸はライセンスの不公布で2018-2019シーズンに「財政の立て直し」を理由にF2に自主降格。そして2022-2023シーズンライセンス不交付で、F2にも参加が認められない形になりました。このニュースを聞いてどう思いましたか? その頃は上永吉さんもクラブから離れていたし、自分としても少し距離を置いていたところがありました。だけど「何らかの形で戻れたらいいな」とは思っていたので、かなりショックでした。まずF2降格も、成績が悪くて降格とかではなく経営状況の問題ということで、明らかにチームとしては緊急事態だろうな、と。 ただ実情も外からだと分からないですし、運営側もごっそり変わっている状態だったので、もう心配することしかできませんでしたね。 ──そこから、どういう流れでもう一度クラブに関わることに? 昨年末ごろ、ようやくクラブ運営のトラブルが解決したらしいという話を聞いていました。そこから、チームメートだった江藤(正博)くんが監督になることが決まって「手伝ってくれないか」と相談されたところからですかね。 前任のスズくん(鈴村拓也前神戸監督)とも連絡はとっていたんですが、きちんと声をかけられたのは去年の年末か、今年の初めごろだったと思います。 そこから今の運営会社である、グリーンカードの羽生博樹代表にも挨拶をして、関わらせてもらうことになりました。 ──外から見ていても、かなり複雑な状況に見えました。選手としてではないにせよ、スタッフとして戻ることにためらいなどはなかったんですか? 体制もしっかり変わって整うというところと、一番は江藤くんの存在が大きいですね。 グリーンカードの羽生さんも、「もう辞めよう!」の一言で終わってしまう状態だったチームにスポンサードをして、消滅の危機から救ってくれました。 その恩返しとして少しでも協力できることがあればという気持ちでした。
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