新型コロナ対応を先取りした「新国立競技場」 無観客でも客がいるように見えるデザインの真実
国際コンペをくつがえし文化的信頼を失う
もとはといえば大がかりな国際コンペ(設計競技)を実施して、大胆な造形で知られるザハ・ハディドの案が選ばれたのだが、環境を理由にした反対運動とコスト高によって実現しなかった。当初の案は伸び伸びとしていかにもスポーツスタジアムらしいダイナミックなデザインであり、そのまま実現すれば、1964年の東京オリンピックにおける丹下健三設計の代々木屋内競技場のように、歴史に残る建築になったかもしれない。しかし大きすぎるという批判を受けてつくったザハの妥協案にはもうひとつ魅力がなかった。またコスト高になったのは、ちょうど東日本大震災の復興事業と重なっていたため、職人が払底して多くの工事で積算を上回る実質コストが予測され入札不調が続出していたからでもあるが、テレビや新聞ではそこまで踏み込んだ報道がなされなかった。審査委員長だった安藤忠雄までが槍玉に挙げられたが、それは不当である。 しかも大々的な国際コンペを実施して、世界の建築家たちが本気で挑戦し、綿密な審査を経て選ばれた案を白紙に戻したのだ。独創的で機能的な設計案を創るのには血の出るような努力が要る。世界の才能と知恵の結晶がドブに捨てられたのであり、金で片づく問題ではない。日本という国は、世界で活躍する建築家、デザイナー、芸術家たちの信頼を失った。これは今後、ボディブローのように効いてくるだろうが、日本人はそれをほとんど意識していない。文化的な国際性の感覚が希薄なのだ。 やり直しコンペによって選ばれた隈研吾の案は、ザハの原案に比べれば、もう一つパンチがないが、上述のごとく、環境と使い方にきめ細かい配慮がなされ、しかも日本的な木の造形が組み込まれ、設計者とチームの総合的力量が遺憾なく発揮されている。現在の日本人は、64年とは違って、歴史に残るものより、さまざまな点でコスパの良いものを選択したということであろうか。 それは日本という国が、世界への挑戦という価値観の時代から、自国民の満足という価値観の時代へと転換したことを意味するようだ。と同時に、世界の文明の価値観の転換を意味するようにも思える。少なくとも、新国立競技場は、地球温暖化と新型コロナウイルスへの対応を先取りしていたといえようか。