「まさに鉄腕」 智辯学園のエース・村上頌樹は春夏合わせて甲子園7試合、921球をひとりで投げ抜いた
プロ野球選手の甲子園奮戦記(16)~村上頌樹(阪神) 今年夏の甲子園、2回戦で智辯学園(奈良)が春夏連覇に挑んだ健大高崎(群馬)に勝利。その試合後、智辯学園の小坂将商監督が語ったコメントをネットニュースで目にした。 【写真】阪神タイガース「TigersGirls」2024年全メンバー(17人)甲子園球場で撮り下ろし! 「ウチも(2016年に)経験しましたけど、センバツで優勝すると(春夏連覇のかかる夏は)2回目(の試合)がポイントやと思うんです。だから選手には、倒すなら(1回勝ったあとの)2回目やと言っていたんです」 8年前、春夏連覇に挑んだ智辯学園は夏の甲子園2戦目で鳴門(徳島)に敗れ、夢を絶たれた。負けられない重圧のなか甲子園までたどり着き、初戦を勝利。ここでひと息ついたわけではないのだか、「次の2戦目が要注意」と経験者の監督は語っていたのだ。 その時の智辯学園のエースが、村上頌樹だった。 【5試合をひとりで投げ抜き日本一】 兵庫県の淡路島から甲子園を目指し進んだ智辯学園では2つ上に岡本和真(巨人)、1つ上に廣岡大志(オリックス)ら錚々たるメンバーが揃っていた。 そのなか、1年夏からベンチ入り。シュアな打撃も高く評価され、県大会では4試合いずれも野手で出場。1年夏の甲子園では、初戦の明徳義塾(高知)戦に6回の守備からレフトに入り、その後の打席でヒットを記録。8回裏には、4対10と劣勢の状況でマウンドに上がった。当時、投手を兼ねていた3年生の岡本のあとを受け、4番手でのリリーフ登板。8月15日、お盆休みの真っ只中ということもあり47000人の観衆が見つめるなか、打者3人に投げた。 試合はそのまま敗れ甲子園を去ると、1年秋からはエース番号を背負った。そして「自分が大きく変わるきっかけになった試合」とのちに挙げたのが、2年秋の近畿大会準々決勝の大阪桐蔭戦だった。 ストレートの質も上がり、チェンジアップも習得。近畿大会初戦で神港学園(兵庫)を1失点完投で下し、翌年春のセンバツ出場を当確としたあとの大阪桐蔭戦。ここで打ち込まれ、9失点の完敗。この結果に村上は考え、ひとつの結論に至った。