ダンプ松本「女子プロレスの花火をもう一度上げたい」
「自分はガードマンにグーで殴られましたから」
──長与千種選手との敗者髪切りデスマッチは、熱狂のピークでした。 ダンプ:髪切りデスマッチを2回やっている。大阪城ホールでやっているんだけど、1回目は自分が勝ってる。2回目は負けてるんだよね。1回目の千種が負けた時のテレビ撮りを大阪で流したら、お客さんからのクレームが多くて、それが原因で大阪から女子プロのテレビ放送は消えてみたいですよ。あまりにもショッキングで。苦情がすごかったんで、テレビ局はやめたらしい。東京はそのまま映してたけど、大阪は映さなくなって、「お前のせいだ」って、よく怒られました。 ──相当恨まれてたんですね。 ダンプ:1回目の時、自分はガードマンにグーで殴られましたからね。ガードマンまで敵でしたから。まさにクラッシュギャルズ対極悪同盟の全盛期だった。1万8000人くらい入ったと思うけど、それが全部敵だった。でも、気持ちよかったですよ。ほんとに自分は憎まれてましたから。嫌がらせはしょっちゅう。車は傷つけられるわ、バイクはパンクさせられるわ、自転車もサドルがなくなるわ。実家のほうは石を投げられたりとか。でも、嫌われてなんぼ、どうやったら嫌われるかを考えてやってました。それが自分の仕事なんで。親には迷惑をかけたけども…。 ──大阪と東京では会場の雰囲気が違いますか。 ダンプ:大阪の人はモノを投げるんだよね。生卵とか。東京とかよそではあんまりなかった。紙テープを投げてぶつけるくらいはあったけど。それで危ないからということで、会社が鎧甲を買ってくれたんだよね、それで登場して(笑い)。まあ、大阪のファンはより熱狂的だったとも言えるけど。
引退「プロレス好きだったけど会社が嫌で」
1988年2月、引退試合を行って引退。「プロレスは好きだったから辞めたくはなかったけど、会社が嫌で、自分が辞めたら会社が困るだろうなって。それと、最初に辞めたらいちばん話題になるだろうなって…。芸能界に入るのは決まってたから。それで急いで辞めたって感じ。体力の限界とか、そういうことではなかった」と、ダンプは話す。 その後は元気で明るくユニークなキャラクターを生かして本格的にタレント、女優として芸能活動を始めた。しかし、2003年、本物のヒールを復活させるため、横浜アリーナの「全日本女子35周年記念興行」で限定復帰。この時の経緯をこう話す。 「極悪がいないから、もう一度作ってもらえないかって声をかけられて。試合はやんなくていいから、セコンドにいてくれたらいい。みんなを教えればいいからって。それで引き受けたんだけど、アリーナの試合の2日後には北海道で連戦があって、その試合に全部自分が組まれてた。試合もやってくれなくちゃ、困るって…」。こうして完全に復活することに。