初代タイガーと小川直也氏が四半世紀ぶりの〝再会〟 暴走王が涙で明かす猪木さんとの〝縁〟
初代タイガーマスク(佐山サトル=67)と元暴走王・小川直也氏(56)が、四半世紀ぶりの〝再会〟を果たした。2人の対談が、ユーチューブチャンネル「小川直也の暴走王チャンネル」と「初代タイガーマスク 佐山サトル【公式YouTube ch】」の合同企画として実現。2人の師匠、故アントニオ猪木さん(享年79)のマネジメント事務所「猪木元気工場(IGF)」(東京・銀座)を訪れ、〝奇跡〟の2ショットに納まった。 【写真】1・4橋本真也戦に現れた〝三四郎マスク〟の男 柔道の世界王者だった小川氏は1996年アトランタ五輪で5位に終わった後、翌97年にプロレスラーに転向。猪木さんと初代タイガーは世界格闘技連合を発足させており、小川は猪木さんに師事すると同時に、コーチだった初代タイガーからプロレス・格闘技のイロハを学んだ。猪木、佐山、小川の3人は99年4月まで行動をともにしている。 当時、「UFO(世界格闘技連盟)」の3人は新日本プロレス道場近くの多摩川沿いで闘魂棒を振り回す、謎のトレーニングを敢行。さらには報道陣を引き連れて、国内外で合宿を繰り広げ、連日話題を提供した。リング上では小川の転向当初から新日本プロレスと敵対し、99年1・4東京ドーム大会では、小川が破壊王・橋本真也を撲殺KO(正式な裁定はノーコンテスト)。試合後には新日本勢とUFO軍で大乱闘に発展し、〝1・4事変〟と呼ばれる世紀の大騒動となった。 初代タイガーはパーキンソン病、メニエール病と闘っていることを公表しているが、この日も車イスでIGFに駆けつけた。対談で2人は笑いを交えながらあうんの呼吸で猪木さんやUFOを振り返り、〝1・4事変〟にまで言及。当時のファンからすれば、たまらないエピソードの連続となった。 対談を終えた小川氏は、本紙の取材に応じ「いやあ、佐山さんと会えてよかった…。いろんな思い出、思いが浮かんできたし、(関係は)変わらなかったんで」と涙目で語り、感激した様子。神経だけは異常にずぶとい元暴走王も、直前まで緊張していたとか。小川氏によると、2022年10月に死去した猪木さんの葬儀などで、あいさつを交わしたことはあったものの「きちんと話すのは25年半ぶり」だという。 その25年前、初代タイガーは今後の方向性をめぐり猪木さんとすれ違いが生じて、UFOを離脱した。これにより、手塩にかけて育てた小川氏とも疎遠になった。元暴走王は「さすがに対談の場では言えなかったけど…」と前置きした上で、こう打ち明ける。 「当時、佐山さんから『俺は俺でやっていくけど、オーちゃん(小川氏)は猪木さんについていかないとダメだよ』って言われたんだよ。たもとを分かつことになっても、佐山さんは佐山さんなりに師匠を気遣っていたんだ。それがこうやって、猪木さんのところでもう一度、話ができるなんて…。会長(猪木さん)が俺たちを呼びつけたとしか言いようがない」。しみじみと話す元暴走王は再び涙目となった。 対談の模様は、それぞれのユーチューブチャンネルで近日中に公開される。 【元気な姿を披露】初代タイガーマスクは長らく体調不良に悩まされており、体の動きに障害が現れる「パーキンソン病」、めまいと吐き気が起きる「メニエール病」と闘っている。 それでも自身が主宰する「ストロングスタイルプロレス」の会場に駆けつけ、ファンに元気な姿を披露。12月5日の東京・後楽園ホール大会へ向けた15日の会見にも出席し、レジェンド王者・村上和成とスーパー・タイガーの王座戦を「素晴らしい試合がなされることが保証されたようなもんです」などと評していた。
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