【福島原発事故11年】「処理水問題」はなぜこじれたのか? 「民間事故調」報告書より #知り続ける
「緊急時」から「平時」のリスコミへの切り替えに失敗
「放射線災害のリスク・コミュニケーション」と題した第3章では、処理水以外の問題も含めて、現状の3つの課題を提示している。 第一に、放射線の健康などへの影響に関する説明をめぐり、科学者コミュニティと政府の信用が失墜し、事故直後の混乱期において1mSv(ミリシーベルト)/年という絶対的な基準が構築されてしまった。これは除染、中間貯蔵施設、土壌廃棄物、避難の長期化を生む政策的に極めて重要な意味を持つこととなった。また、日本はクライシス・コミュニケーションから、平時のリスク・コミュニケーションへの切り替えに失敗し、緊急時の予防的措置をとるクライシスの段階から平時のリスクを共有する段階への切り替えができなかった。 第二に、トリレンマの把握である。放射線災害からの回復には、「被曝リスク」「主観リスク」「経済リスク」のうち、行政・科学者は「被曝リスクの最小化」を実現すればよいと主張し、残る二つについては、単なる一部住民の声と見放しつづけている。このトリレンマを解決することなく、10年を迎えている。 第三に、福島原発事故後の規制の強化、また規制と原子力防災の分離は、事故対応や住民の被曝の最小化などの原子力防災という「目的」を原子力推進と再稼働の「手段」と置き換えてしまった。原子力発電所事故時の避難という「大きな安全」を達成することよりも再稼働のための障害となる不安を解消し「小さな安心」を達成することが重視されるという構造を生んでしまった。 すなわち、新たな「安全神話」が再構築されているのである。